由良高リレー9

その子供を目にした時、高遠は不思議な既視感に襲われた。淡い髪の、ガラス玉のような目の少年だ。
彼は大きな瞳をぱちりと開き、感情を伺わせない、どこか無機質な目で高遠を見返していた。彼のそばにいる黒髪の少年は、窺うようにこちらを見ている。その手に抱かれた人形は、おそらくこの部屋にあったものだろう。
「君は……」
呆然とそう口にした途端、少年たちは弾ける様に飛び出していった。小さな頭が三つ、瞬く間に視界から消え、咄嗟に追いかけようとしたが、間の悪いことに服を着ていないのでそれはかなわなかった。
「ちっ」
軽く舌打ちをしてから、服を着ようと由良間に脱がされ床に落とされた服に手を伸ばしたとき、くらりとめまいを感じた。頭に鈍い痛みがやっと気づいたかと言いたげに、ずきずきと存在を主張する。妙に頭が重いが、風邪や片頭痛などではない。薬を使われたのか、直感的にそう感じた。
元より眠りが浅いたちだ。幾度も肌を重ねることで由良間と同衾することには慣れ、彼が居ても眠れるようにはなった。だがその他の人間が、例えば自身に敵意を持っていない子供であっても、側に近づけば目が覚める。先ほどの少年たちが、一人のみならず三人も居れば、扉が開いた瞬間に目が覚めてもおかしくはない。
服を着て、部屋を飛び出すが既に遅く、見える範囲に子供たちはいない。部屋の中から見ただけであったので確実性には乏しいが、子供たちは一斉にロビーの方に行ったように思う。子供の足であれば、走れば間に合うかもしれない。高遠はそう考えると、周囲を探りながらまっすぐに走り、角を曲がろうとした際に、人にぶつかりそうになった。
「おっと……」
「あぁ申し訳ありません」
鷹揚に驚いた声を上げたのは、執事だ。
初老の執事は高遠を認めると、こちらこそ失礼いたしましたと軽く腰を曲げ謝罪を示した。
「どうかなさいましたか?お急ぎのご様子ですが。何か部屋で不備でもございましたでしょうか?」
「いいえ、部屋に問題はないのですが……執事さん、子供を見ませんでしたか。十になるかならないかくらいの子なのですが……」
尋ねると、執事は不思議そうに首を傾げた。
「十歳くらいのですか?おかしいですね、この館にはお子様はいらっしゃらないのですが」
「招待客の誰かかもしれませんが」
「尚更いらっしゃらないでしょう。何分昨夜のパーティーは遅くにあったものですし、招待客の皆さまは私と他の使用人がご案内を仕ったのですが、未成年の方は一人としてお越しにはなられませんでした」
そんな馬鹿なことがありえるのだろうか。先ほどの子供たちは確かに、高遠の目の前にいた。
そもそもあのオフィーリア人形を使っててショーをすることになったのも、確か由良間が子供のことを口にしたからだった。あの時はさして気にも留めなかったが、由良間は執事が居ないと言った子供を「見た」のではないか。
「それに私は、先ほどからこの廊下の見回りをしておりましたが、高遠さまにお会いするまで、他のお客様のお姿を目にしておりません」
「……うちの由良間の姿も見ませんでしたか?」
「えぇ……由良間様がどうかなされたのですか?」
彼の言葉には一見嘘が無いように思える。瞳の揺らぎもなく、身振りにおかしな点も無い。やはり服を着るための時間ロスが痛かった。それが無ければ、彼らを簡単に捕まえることができただろう。
「あの奥様は今はどうされているのですか?」
「昨晩遅くまで起きていたようで、未だに就寝中です。朝食の時間には、目を覚ます予定になっております。御用がおありなのでしたら、差支えなければ私が代わりにお聞きいたします」
「あぁ……それにはおよびません。ありがとうございます……ただ彼女がどうされているのかと思っただけで……」
「さようでございますか?」
不思議そうに高遠を伺う執事には、腹黒さや何かを隠している様子は見受けられない。しかし人は簡単に仮面を被る。人に仕え、自らの些細な行動が主人を煩わせる可能性があるとすれば、一層この思慮深そうな男は自らを偽るだろう。
「あっあの、このあたりに川はありませんか?」
「川……でございますか?いいえそのような物はございません」
「えっ…… では、湖なども?」
「えぇ、この辺りは山の奥で周辺には木ばかりしか植わっていません」
それが何かと訪ねてくる執事に、高遠は曖昧な笑みを返し、何もと言葉を濁して彼と別れ部屋に戻ることにした。
あの男の言葉に偽りはないように見える、しかしそれが真実であるかどうかはわからない。執事ともあれば主人の次に、もしくは主人以上にこの館のことを知っているだろう。彼自身が主人に騙されているか、それともまた別の理由…… 子供の存在を誰かに知られたくない理由でもあるのではないか。
部屋に戻るも、やはり由良間は戻っては居なかった。薬をかがされ連れ去られたのだろう。部屋一面を覆うように飾られた人形たちも皆、運び出されている。あの数の人形を運び出すのは、手間がかかる。子供たち三人がかりでしたとしても、何度も部屋の中を出入りしていれば、人目につくかもしれない。
それに目覚めたときに聞いた…… 水の音が気にかかる。雨はもう随分と前に止んだようで、窓の外の地面を濡らすに終わっている。雨音でないのであれば。川などのはずなのだが、それさえも執事は無いという。それが真実であれば、あの時聞いた音は錯覚だったのか。いや高遠はあの時確かに水の音を聞いたのだ。
もはやこれは直感的なものにすぎないが、その水の音こそが由良間失踪に関わることなのだろう。あの人形めいた子供たち、失われた人形、そして壊れてしまったオフィーリア人形。
あの女主人は由良間に恨みを持ったのではないか、再三人形を大切に扱えと希望しながら、目の前で我が子とさえ呼んでいる美しい娘を殺されたのだ。彼女を一人孤独に水に沈めるよりも、美しい恋人を共にと望んだのかもしれない。だが…… それにしてはなにかおかしいような、そんな気持ちも抱いた。
何かに気づくには、あまりにも情報が足りなかった。せめて彼を浚われるとき、もしくは彼が自分から離れたときに、目が覚めていれば事は違っただろう。少しずつ頭痛は収まってきたが、痛みが軽くなるに連れ増していくのは自身に対する怒りだった。
ほんの少し前まで、側にいたのだ。彼の温もりを感じ、抱き合い、孤独を交わしあった。決して混ざり合うことのない、すれ違う温もりではあったが、確かにそこにあった。だと言うのに、間抜けにも奪われてしまった。もはやこれはやがて幻想魔術団を恐怖に陥れる、地獄の傀儡師への挑戦に他なら無かった。
今由良間を傷つけ殺されることは、許されないのだ。あの男は、相応しい場面で、相応しい時に、この地獄の傀儡師の手で殺されるべき生け贄の羊なのだから……
果たして由良間はどこに連れられていったのだろうか、そもそも子供や女の手であの男を連れ出すことは出来るのだろうか。いくら細身とは言え、背の高い男だ。彼らの手には余るに違いない。
高遠は部屋を見回し、思考を巡らせた。できるだけ、人目につかずに諸々を運び出す…… 自分ならどうする?そう例えば、壁や床に仕掛けを作っておいて、そもそも部屋から出ずに他の場所へといけば、人目は避けられるのではないか。
壁をいくらか叩き、探る内にその仕掛けを見つけだした。
「ビンゴ!」
壁には仕掛け扉が仕込んであった。扉にはキーパッドの鍵がつけてあったが、急いでいたためか、それとも中に人がいる場合は閉じこめられないようにか、鍵は閉まっていない。軽く押せば回転扉となり、新たな空間が高遠の前に現れた。
「私としたことが、このような子供騙しの手に掛かってしまうだなんて」
おそらく少年たちは一度高遠たちの部屋から飛び出すと、どこかの部屋に隠れ、高遠が部屋から離れるのを見てからこの隠し扉の中に入っていったのだろう。
隠し扉の奥は暗く、高遠は懐からペンライトを取り出した。光源は小さくも、無いよりかはいくらかましだ。そうして一歩足を踏み入れたとき、かつんと靴先に当たる物があった。
「…… これは?」
拾ってみると、それは小さな石だ。人形の飾りか、それとも何かのアクセサリーの一部だろうか。それをハンカチにくるみ、ポケットの中に入れる。
暗闇の奥から微かに水の流れる音がしている。この扉のような仕掛けか、それとも地下水道でもあるのか。
一つとしてわからないまま、高遠は歩みを進めた。今の彼にわかっていることはただ一つ、もしこのまま徒に時を過ごせば、由良間はこの水音の中に囚われてしまうだろうと言うことだ。
そんなこと許せるはずがない。高遠は歯を噛みしめると、暗闇の中を駆けていった。

  • 最終更新:2016-08-28 09:33:08

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