由良高リレー26

選ぶということ。奪うことも、捨てることも、全ては其処から始まるのだ。
SDカードの内容は手紙だった。


「美しい由良間君へ

今これを読んでいる君が、由良間君本人である事を強く願っている。どうしても由良間君に伝えなくてはならないし、また由良間君以外に伝えてはならない秘密なのだ。もしもこれを読んでいる君が善意の第三者ならばこの先は読まず、幻想魔術団のノーブル由良間という芸名の男にこのSDカードを届けて欲しい、ただし出来る限り秘密裏に。もしも君が善意の第三者ではなく高遠遙一君なのであれば、それは私が最も恐れる事態だ。君が高遠君であるのならば、どうか私の胸中を察して欲しい。そう願うばかりだ。空しい願いでもある。
しかし君が誰であるか、私には知るべくもない。とにかくここから先は、読み手たる君が由良間君であると仮定して話を進めよう。
結論から言うと、君は高遠遙一君を捨てなくてはならない。突然の事で驚くだろうし、反発もするだろうという事は分かっている。それでも私は君に伝えなくてはならない。私は君を愛していた。君は私の最高傑作であり、後継者になり得る男だ。だからこそ、君がみすみす破滅に突き進んでいく事を見過ごす訳にはいかないのだ。どうか分かって欲しい。
この20年近く、君から目を離した事はなかった。今だから言えるが、君が近宮玲子の元に弟子入りできる様に裏で取り計らったのは私だ。私は彼女のパトロンでこそなかったものの、彼女の才能には昔から目を掛けていた。友人だったと言えるだろう。だからこそ私はすべてを知っているのだ、彼女がある恐ろしい男との間に私生児を設けた事も、彼女の死に不審な点がある事も、その後の君たち幻想魔術団の動向も、彼女とその息子と幻想魔術団と君に関する事の、すべてを知っているのだ。もう大分前の話になるが幻想魔術団に新しいマネージャーが入った事も、そのマネージャーと君が交際している事も、つい先日君達二人が出張した先で人形師が失踪した事も。すべてを知っているのだ。
高遠遙一君は近宮玲子の息子だ。信じ難い事だろうが、それでも信じて欲しい。
私は高遠君を知っていたが、彼を磨いてみようとは思わなかった。彼に才能を見出さなかったのではなく、恐ろしかったのだ。父親譲りの無邪気で底知れぬ悪意と、母親譲りの善良で残酷な狡猾さを併せ持ったあの少年は、今となっては青年だが、断言しよう、化け物だ。私は彼を忘れたかった、だから目を逸らしていたのだ。しかし彼は現れた、事もあろうに君が所属している幻想魔術団のマネージャーとして、何も知らない風を装って。この時ばかりは君を近宮玲子の門下につけた自分を呪った。私は彼が君たち魔術団員を裁きに来たのだと思った、何故なら私は君たちが近宮玲子を殺したのだと考えているからだ。それで私は君に連絡しようとした、しかし彼はあっという間に君に取り入ってしまった。前述の通り私にとって彼は恐ろしい人間だったので、私はこの問題に迂闊に手を出す事が出来なくなった。老人の臆病を笑って欲しい。これが君に関わる話でなければ捨て置いたのだが、これも前述の通り私は君を愛していたので、とにかく私は監視を続けた。今日までずっと、私は君と高遠君を監視してきた。長い間だった。おかしなものだ、私は生涯かけて他人の人生に干渉し観察あるいは監視する事を生き甲斐にしてきたのに、たったこれっぽっちの時間が長く感じるとは。思うにこの時間はあまりに平和だったのだ。はじめのうち私は、明日にでも君が殺されてしまうのではないかと毎晩生きた心地がしなかった。しかし君はその毎晩を生き延び続け、依然変わらぬ美しさでステージに立ち、君と高遠君の関係は日に日に深まっていった。驚くべき拍子抜け、これでは単なる蜜月であり、惚気を聞かされているようなものだった。不協和音に満ちた平和、可愛い君の可愛い恋人との日常、その裏側で何が進行しているのか、そもそも何かが進行しているのかどうかすら分からない、そんな監視生活は私にとってとても長く感じられた。苦痛だった。いっそ高遠君は本当に何も知らないのだと、これはすべて運命の笑えない悪戯なのだと、そう思い込もうとした事すらあった。
しかし先日の事件を聞いて、私は行動を起こさざるを得なくなった。失踪した人形師の彼女、彼女もまた私の才能深い友人だったが、彼女は高遠君によって殺されたのだと私は考えている。歴史上の多くの天才たちがそうであった様に、人形作りの天才であった彼女もまたある種の異常者だった。そして彼女は、君がまだ若い頃から、君にとても強い関心を持っていた。たとえば彼女が君を殺そうとしても、私は不思議だとは思わない。不思議なのは君が何も語らない事、にも関わらず彼女が返り討ちに遭ったらしい事だ。私はこの耄碌した頭であらゆる可能性を考慮したが、やはり彼女は高遠君に殺されたのだと考えるのが最も自然だ。そしてこれが重要だが、高遠君は君の知らない所で、君を守るためだけに、人一人を殺してのけたのではないだろうか。きっとそうに違いない。この結論が導き出された時、私は年甲斐もなく恐怖で震え上がった。高遠君は君の命だの名誉だのを奪うだけで済ませる様な、そんなに生易しい復讐者ではなかったのだ。彼は君から奪うだけでなく、君を捨てようというのだ。君を惨めに捨てるために、まずは君を手に入れようと君に献身しているのだ。そうしてその献身が、復讐心が、これは私の推測だが正しいだろうと確信している、彼自身の中ですっかり君への愛情になってしまっているのだ。彼は私が思っていたよりも、ずっとずっと恐ろしい青年だった。彼は君を愛している、それは捨てるための愛だ、その愛で君は破滅する。現にどうやら君も彼を愛してしまっているらしい、愛するという事は手の内にかかるという事であり、危険な賭けをする事と同義なのだ。
君たち二人は共には生きられない。このまま君が彼を愛し続ければ、君は間違いなく彼の手によって破滅させられるだろう。また、このまま彼が君を愛し続ければ、その愛のあまりの重さに彼自身も破滅の水底に沈んでしまうだろう。それは彼の為にもならないのだと、愚かな君に理解できる事を願っている。彼を捨てなさい。交際をやめるだけでも十分につらいだろうが、できれば君は彼を殺した方が良い。命ある限り惹かれ合わずにはいられない、そんなロマンティックで悲劇的な恋人たちというものはこの世に実在するのだ。人形師の館へ行きなさい。そして三階の一番南の客室の壁か、子供部屋の鏡か、アトリエの奥の扉を調べてみなさい。人ひとりを殺し、その死体を誰にも知られずに処理できるだけの設備がある。そこで高遠君を殺しなさい。骨の欠片ぐらいは思い出に残しても構わないが、それ以外はすっかり処理してしまうのが賢明だろう。
こんなに回りくどい方法でしか君を救えない老人を許してほしい。このSDカードを隠すのは、悪意ある何者かの手に渡ってはならないからだ。私が首を吊るのは、そうでもしないと君は私の元に来てはくれないだろうと考えた事と、物語のこの先を見るのが恐ろしいからだ。そして、私が直接に高遠君を始末しないのは、選択は君自身にして欲しいからだ。君は私や彼女や彼の人形ではなく生身の人間であり、君自身の人生を選択する権利を持っている。私は君の眼を信じているし、きっと君は最も良い選択をしてくれると思っている。だがしかし、もしも高遠君と共に沈む事が君の選択であったとしても、私はそれに文句を言うことなど出来ないのだ。
                  ××××年××月××日 愛を込めて ●●●●   」


あの日、幻想魔術団のショーを観に行く事を選んだ。
あの日、復讐する事を選んだ。
あの日、由良間さんに抱かれる事を選んだ。
あの日、人形師を殺す事を選んだ。
今、もう一度選ばなくてはいけない。
隠すのは容易い事だ。そもそも由良間さんはSDカードの存在からして忘れているだろうし、もし何か聞かれても南島との悶着のどさくさで紛失、行方は分からない、そう言い張ればいい。ただそれだけ。それだけ、けれどそれだけ、それ以上のものは二度と手に入らない。嘘、嘘、嘘、けっして贖われる事のない永遠の嘘、何も知らないままで由良間さんは死んでいく、僕の真実も、老人の想いも、彼の背中の痛みも何ひとつ報われる事なく闇から闇へ、それでおしまい。ただそれだけ。あぁ、どうしてこんな事を僕は忘れていたのだろう。僕が由良間さんの足元の泥水をいくら啜ってあげたって、そんなものに少しも意味はなかった。水の音は僕からしていたのだ。そう、僕が由良間さんの泥水だったじゃないか。忘れていたんじゃない。忘れたかったんだ、だから目を逸らしていたんだ。それもひとつの選択だった。「美しい舞台で」、「完璧なシナリオで」、そうやって薔薇の香りで死を飾り立てて見えなくしようとしていたんだ。必死に覆い隠したその膜を、SDカードが引っ掻いて裂いた。破れ目から漏れ出た現実が狭いこの部屋に充満して、選択を、選択を、老いた声で艶めかしい声で彼の声で彼女の声で高い声で低い声で母の声で神の声で、選択を、迫る。目に見えるものだけが真実だとは限らない、そして目に見えている全てが現実だとも限らない。あぁもう訳が分からなくなった、息が詰まりそうなのは現実に溺れているからなのか、全てが監視されていた事を知った抑圧感の為か。人形、雨、名誉、夏水仙の花、汚辱、毒、オフィーリア、首吊り、南島、若さ、ナイフ、子供たち、棺、僕、ヘンリー卿、ねぇ由良間さん、もう良い。選択するのは今この瞬間でなくても良い筈だ。今はもう、疲れた、水の底、由良間さんってば、聞いていますか、眠ってしまおう。

そうして夢の中で思い出した。幼い頃に大切にしていたビスクドール、あの人形が捨てられるに至った経緯を、すっかり忘れていたもう一体の人形の事も、思い出した。
何故、隣家の老夫婦にはあの人形が不要になったのか。それは不要なものになったのではなく、不吉なものになったのだ。あの人形を作った人形師に関して何か悪い噂が立ったから、隣家の老夫婦はそれを孫娘に与えるのをやめたのだ。そんな都市伝説みたいなものを信じている訳じゃないのよ、でも孫娘が怖がってしまって、ごめんなさいね押し付けるみたいで、でも見てちょうだい、とっても綺麗なお人形でしょう。それで僕が引き取ったのだ。
僕はあの人形が好きだった。なめらかな肌を撫で、髪を梳き、ただただ眺めているだけで瞬く間に時が過ぎていった。ただひとつ不満だったのが、僕がいくら人形を眺めても人形は僕を眺めてくれない事。僕がいくら語りかけても人形は返事をくれない事。でもそんなものは些細な欠点であり、雨音を聞きながら人形と過ごす時間はきわめて幸福なものだった。繰り返し、繰り返し、人形を腕に抱き、囁きかけ、そんな日々を繰り返し、そうそれは幸福な繰り返し、Happy Refrainだ。今思えば蜜のような。
そんなある時、幼い僕は考えた。人形が返事をしてくれないのは、僕が人間だからではないか。人形には人間の言葉が届かないのではないか。子供のあどけない思いつきとは転がりやすいもので、そうとくれば僕の代わりに人形とお話ししてくれるもう一体の人形を作ろうじゃないかと考えた。僕の言葉を伝えて欲しいから、僕が動かせるあやつり人形がいい。古くなった手袋でパペットを作り、可愛らしい顔を描いた。そのパペットを通してビスクドールに話しかける。胸に迫る期待と淡い不安、甘い雨が止み現実の空が顔を覗かせる前に、あるいは父が帰ってくる前に、ビスクドールの声が聞いてみたかったのだ。果たして、ビスクドールは返事をしてくれた。子供の空想、それでも当時の僕に取っては紛れもない現実であり、モノクロだった世界に色が着いたかの様な祝むべき出来事だった。ビスクドールは饒舌に語り、詩を朗読し、童謡を歌ってくれた。僕あるいはパペットはそれに返答し、詩の題を当て、一緒に歌った。古い記憶、子供部屋に降り積もった幸福な人形遊びの時間。その中で僕はビスクドールに憧憬を抱き、それと同時にパペットの粗末な出来を恥じるようになっていった。ビスクドールは本物の天使であり、生きた少年であり、高貴な王子だった。それに対して僕の分身であるところのパペットは布の塊であり、古手袋の工作であり、お腹の中には僕の手があるばかりで空っぽだった。これでは釣り合わない。まがいものの人形はいずれビスクドールに相手をしてもらえなくなる、子供心にそうとまで考えていた訳ではないが、何か漠然とした不安のようなもの、何かが足りないのだという感覚があった。僕はその何かを、雨でない日には外に出て探した。白樺の木の下に、ショーウィンドウの中に、道路標識の陰に、曇り空の向こうに。
結局、それは池に浮いていた。半ば沈みかけながらもゆらゆら揺らめき光を反射し、生気を失って濁った黒さの中に七色の輝きを宿した、それはカラスの死骸だった。木漏れ日の中で無残な死を晒していた美しいもの。足りなかった何かを見つけた僕は迷わずそれを家に持ち帰り、もうすぐ君に似合いの友達ができるよと自分の言葉でビスクドールに報告した。転がり続ける子供の思いつき、滴るあどけなさが線を引いて、僕と人形たちの周りをぐるぐる囲んだのだろう、しかし当時の僕がそれに気付く筈もなかった。次に僕はカラスの中身をパペットの腹に詰めようとした。けれどもカラスの中はどろりとした液体ばかりで、布で出来たパペットの腹に収めるのは難しそうだった。固形で残っていたのはバラバラになった骨、骨、骨、僕はその骨のうち小さいものをいくつもパペットに詰めた。まだ裁縫はできなかったのでパペットの端を紐で縛って閉じた、腹が膨れ上がった布人形はまるで孕んでいる様だった。単なる子供らしい気紛れで、カラスの柔らかくて小さな羽を何枚か選んでパペットの頭部に貼り付けた。僕とお揃いの黒髪だよ、と。そうして生まれ変わったパペットはきっと不気味だっただろう、けれども僕は嬉しかったのだ、生まれて初めて自らの手で何かを作り上げたという達成感と、これでようやくビスクドールと対等になれるという誇らしさ、喜びに頬を上気させながら、パペットをビスクドールの隣に置いた。
そこには完全な調和があった。最初からそうであるべきだった一対のもの、互いに求め合い、どちらか一方が欠ければたちどころにもう一方の価値も無に帰すもの。そして他の誰かが侵入する事を拒み続けるもの。まるで円環の様に、二体の人形は互いだけをもって完結していた。非の打ちどころがないその光景を見て、僕は人形遊びの終焉を悟ったのだ。腹を閉じたパペットはもはやパペットではなく、もう二度と僕の思うままには動かせない。彼は独立したひとつの人形、あるいは一個の人格になったのだ。これからは僕の手を離れて、ビスクドールと二体きりの世界で生きるのだ、そう何の疑いもなく理解された。不思議と淋しくはなかった。ひとつの正しいことを成し遂げた、そんな確信が僕を幸福に繰り返し続ける陶酔状態に留め置いた。
しかし異臭に気付いた父によってカラスの死体が発見され、僕の工作が露見すると、人形たちの蜜月はあっさり破壊される事になる。布人形はカラスと共に暖炉へ放られ、ビスクドールはゴミ捨て場にやられた。二体の人形は死に場所を共にする事も叶わず、それぞれの場所で朽ち果てていった。父も癇癪であの人形を捨てた訳ではなく、僕が動物の死体を拾ってきてぐちゃぐちゃと引っ掻き回した、その残骸を使って人形を作ったという事実を気味悪がったが故だろう。ならばあのビスクドールを殺したのは僕か。夢の終わりに人形師が微笑んでいた。あなたは私のお仲間ね、お近付きのしるしに面白いものを見せてあげましょう。そう言ってあの棺の前に僕を案内する。さぁどうぞ、開けていいわよ。僕は躊躇い、逡巡する。開けた先には何が待っているのだろう、開けるべきか、何も見ないで立ち去るべきか。選ばなくてはならない。選択、全ては其処から、水の底から始まるのだ。

  • 最終更新:2016-10-27 12:20:50

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