由良高リレー25

ここ最近取り調べばかりを受けている気がする。病室に不似合いな、若い男と中年男の二人組を見ながら、由良間はそう思った。
四年前…… 玲子の事故の時に取り調べを受けた時は、まるで犯人かのような目で見られていたが、先だっての女主人の時は話半分に、そして今回は被害者として僅かな憐憫のような色を若い刑事は素直そうな瞳に浮かべていた。
「それで、刺されて気絶してしまったんですね」
中年刑事が齟齬がないかと、由良間の言葉を繰り返し言った。
頷こうと身じろぎすれば、背中に鋭い痛みが走った。刺された場所が悪く、寝ていても痛む。今は身を起こして背中にクッションを置いている。痛み止めの効きが悪く、何か行動をする度にひどく痛んだ。
だが腕や手を刺されるよりかは余程良いだろう、ただでさえショーに支障を来しているのだ、後遺症だのなんだのが残る可能性は避けたかった。腰を刺されれば腎臓を傷つけていたかもしれず、肋骨で内蔵が守られる背中を刺されたのは不幸中の幸いだと医者は言っていたが、ただ手が守られたことに由良間は安堵していた。
小さく痛みにうめけば、中年刑事は「あぁ大丈夫です、わかりました」と返した。
どこかのったりとした、熱意を感じさせない喋り方に、由良間はこいつ本当に捜査する気あるのかよ、などと内心首を傾げた。だが被疑者死亡で、由良間が気絶した後も一連の流れを目撃していた高遠からも既に証言され、今回の物はその裏付け程度でしか無いのであれば、この意欲の無さも当然なのかもしれない。
「その後、被疑者は自殺……と、由良間さんはあの南原に恨まれるような理由なんて物はあるんですか?」
「さてね、初対面だし…… 仕事柄目立つから変な奴に目を付けられることはあるけどよ、知らねぇよあんなやつ」
あの時南島は何か喚いていたような気がする、捨てるだの捨て無いだの…… 欲しいと言うから渡しただけだと言うのに、一体どこに逆上するような事があったのか。一目見た時からどこか気に障る不快感は、彼の敵意が原因だったのかもしれない。少しばかり、高遠に近づく男への嫉妬心と独占欲があったのは自覚していた。
逆上した南島が高遠へした行動について、警察はただ高遠を人質に取ろうとしていたとだけ聞いているようだった。気弱で風が吹けば折れそうなひ弱さを感じさせる青年だ、その点に関して警察は何も疑ってはいなかった。
あの後南島が自殺したのだと聞き、結局あいつは何がしたかったのだろうか、そう思わずには居られなかった。由良間を殺したかったのか、財産が欲しかったのか……
「そうそう、南島のDNA鑑定の結果が出たんだがね、彼は息子では無かったよ」
「はっ!?じゃあアイツなんだって、あんな所に居たんだ」
「さぁて…… その辺りはまだ調べてる途中なんだがね、どこか裏がありそうだ。そんなやつが衝動的に自殺しそうなたまには思えんのだがね」
「またですか先輩、どう考えたってあれは自殺でしょう。由良間さんは気絶しているし、高遠さんも返り血なんて一滴もあびていないんですよ?喉を刺したら、血のシャワーを浴びちまうって言ったのは先輩じゃないですか」
「だがなぁ…… 」
「武道の達人が南島を拘束して、とかでも無い限りあんなコロシにはなりませんよ。それにあの高遠さんが人を殺せるはずもないでしょう」
はははと軽く笑う若い刑事は、高遠の細腕や大人しい性格を思い出しているのだろう。
病室に不似合ないな笑い声を上げる部下を中年刑事は睨み付けた。
「お前はよぉ、そう言った偏見は止めろって言ってんだろうが。ああいった、いかにも無害な子羊って雰囲気のヤツが実はってのが案外多いもんだぜ」
それは長年の経験から来るものなのだろうか、実際そういうことがあったのかはわからないがこの男は高遠を疑っているのだろうか。
自分が襲われている時もろくに抵抗できず、ただただ由良間に逃げろと言っていた高遠を思い出し「アイツには無理だろ」と由良間は中年刑事に向かって口を開いた。
「アイツもまぁ男だし、仕事がら物を運ぶことも多いから、見た目よりかは力があるが臆病者だ。ナイフを突きつけられて泣いてたくれぇだしよ。あんなヤツが人殺しなんてそうそう出来るはずがねぇ。度胸比べでうちの見習いにも負けそうなヤツなんだぜ?」
さとみと高遠のどちらがより度胸があるかを比べれば、きっとさとみの方だろう。いや、舞台のスケジュールを守ろうと必死になる時などは、意外な度胸を見せる、パニックになったら普段以上の冷静さと度胸が生まれるかもしれない。だがそんな事をこの中年刑事に伝えて疑念を更に深めさせるわけにはいかない。あえて誇張して、高遠の弱さを伝えた。
「まぁ、彼の証言と祖語もなさそうですし……そうなのでしょうなぁ」
しつこい男だ、そう思いつつも由良間はにっこりと舞台の上で見せるような綺麗な笑みを浮かべた。
「勿論、高遠の無実は俺が保証します」
結局の所その言質が欲しかったのか、彼らはその後いくばくか言葉を交わすと病室を後にした。由良間の入院は十日ほど続いたが、その間に彼らが来たのは二度ほどで、そこでは新たに南島が母子家庭であったこと、その母親とMr.が何らかの交友関係にあったらしいと伝えられた。
ずっと父親が居なかった彼は、理想の父親像としてMr.を選んだのか、そうであればなんて悪趣味な男だろう。高名で一時は財産があったものの、人格は卑しく変態気質だ。あの男を聖人のように言うような人間もいるにはいるが、それは頭が軽く現実が見えない幸せ者くらいなものだ。
実際Mr.の生前何度か南島は彼に会いに行ったようだが、すげなく追い返されていたらしい。当時Mr.は資金繰りに苦しみ、見知らぬ男の妄想に付き合うだけの余裕がなかったのだろう。そうして理想の父親に相手にされなかった男は、遺産相続人たちに対して筋違いな恨みを抱いたのではないか、というのが警察の考えらしい。他の相続人の失踪に関しても、南島が何らかの形でかかわっているのではないか、そう言われている。
それが事実であるか、それは定かではない。ただ三人もの人間を「どうにか」出来た人間が、由良間を刺したことに動揺するだろうかという疑問は浮かんだ。しかし由良間がその真意を知ることはない。
煩わしい傷を負うことになってしまったが、長年由良間の心の片隅をしめ、彼の精神を圧迫させていた因縁からの解放感に浸る前に、あの男……南島の言葉が脳裏を過った。
『大事な恋人』
たった五文字のその言葉は、由良間にとって大いなる力を持っていた。馬鹿な話だ、誰に対しても特別な執着心を持って来なかったと言うのに……あの爺に関しては、屈辱的な気持ちから……一種の自己愛から発した憎しみだったのだが、高遠に関しては違う。
高遠が刺されるくらいならば、自分の身を投げて守ろうと考えてしまった。いや考えてさえいない、彼が危険だと感じた瞬間に、頭が真っ白になって行動してしまった。
今まで由良間にとって大切なものなど、自分以外に存在しなかった。あの爺との関係もあったが、それ以前からも人に対する執着は少なく、簡単に捨てて来た。マジックを行うこと、その舞台、団員たちとは仲間であるが大切ななどと頭につくことは、互いにないだろう。ただ……暗い過去で繋がっている仲間であるだけだ……
今もし独立しろと言われれば、由良間は簡単に仲間たちも捨てるだろう。独り立ちする自信もある。だがその時は高遠も共にと自然と考えている自分が居た。
いつからこうなったのだろうか、そう考えるだけ馬鹿な話だ。高遠の様子を窺うように女と遊んだり、捨てたりなどをしてもあの男は一切反応を見せない。縋るように見せて、由良間への執着を見せていない。その態度はほんの一時の関係だと、無自覚に告げていた。
高遠はとても由良間に対して献身的な男だ、それはマネージャーとしてだけではない。由良間が命じれば彼が沈む泥を飲み干すという献身……それは神に対するようなものだ。だがそこに由良間の人間性はない。彼は決して由良間の行動に嫌悪を見せない、心の内はわからないが、少なくとも表に出すことはないのだ。それは健全で対等な関係とは言い難いものだった……



取り調べと報告を兼ねた警察の訪問も終わり、暇を持て余していた由良間の元に、見舞いと説教を兼ねて山神が顔を出した。
ベッドに縫い付けられ、身じろぎ一つしようとしても痛みにうめく由良間を見て、山神は同情なぞせず呆れの眼差しを送っている。
「全く、最近のお前は問題をおこしてばかりだな」
「俺がおこしてるんじゃねーよ、勝手に問題ができんだよ」
人形を壊した……奇しくもどちらも由良間の手で壊すことになってしまったが、由良間がしたことなんてその程度だ。人の失踪や自殺に関して由良間が原因と言い切るにはあまりにも酷い、と思うのだが、山神にとってはそのようなことは重要ではなかった。
「ったく……スキャンダルは困るんだよ、うちは元々そういう問題があるんだからよぉ」
「んなこたぁ言ってもよぉ、どうしろってんだ」
元々そういった問題、近宮玲子の死をぼかしながら山神は由良間に伝えた。アレに関してもただの事故である、と由良間は『知っている』が他人からすれば、死という悍ましい過去でしかない。
世間によくあるような仕事とは違い、体を張ることの多いマジックショーは、観客が知る以上に事故が多い。マジシャンは当然として、それを支える助手たちにも危険が無いとは言えない。常に生傷が耐えず、僅かな気の緩みが命を縮めかねない。しかし人気商売なだけに、それを知られることは好ましくなく、トリックを隠すように彼らはその暗闇を観客には見せないようにしていた。
それだけに亡師の事故は、幻想魔術団にとって暗い過去となる。
彼女が死に、幻想魔術団を立ち上げてから四年間、彼らは有名になるべく必死に勤めて来た。
助手として、もしくは前座として近宮玲子の舞台に立つことはあったが、あくまでも弟子……扱いとしては幻想魔術団に置いて見習いのさとみとさして変わらない程度で、とてもではないが彼らに知名度などあるわけもない。トリックノートがあったとはいえ、今の人気を得られたのは、幻想魔術団の面々の努力があったからである。
同時に人気が出ると言うことは、同業者からの嫉妬、そして言わば芸能に近く人目に出ることが多い仕事故に、パパラッチに追われることもある。それだけに団長である山神は、醜聞を嫌っていた。
女関係程度であれば、由良間の派手な身なりから、騒がれることはないと思ってか余り口うるさく言われることはない。由良間が団の人気を牽引しているという点も、山神の目が甘くなる理由でもあるのだろう。しかしこうも「悪いこと」が重なるのはマズイと、団長もようやっと思ったのだろう。
「どうにも、お前と高遠の相性は悪いみてぇだな、二人でどこかに行くたびに事件に巻き込まれてるよな」
「別に俺たちは何もしちゃいねぇぜ」
「当然だろうが、そんなもん」
何があったのだ、そう山神に尋ねられても当然伝えられることなど何もない。元より高遠から全てを聞いているのだから、そう聞くだけ無駄だ。何時だって由良間は真実を知ることなく、事件に遭遇する。近宮玲子の時とて、同じことだ。彼は何も知らず、何も理解せず、生と死を通り過ぎるのだった。
「俺は被害者だぜ?この傷……まぁ背中だから見えないかもしれないけどよ、結構痛いんだぜコレ」
口をとがらせて文句を言えば、山神は頭をかいてわかってるさと返した。
仕事へ支障をきたさないように、そう口酸っぱく言われていたのは覚えている。しかし一体誰が書類仕事をしに行った場所で、ナイフに刺されると予感できるだろう。如何なる名探偵や優秀な警察でさえ、きっと予測できないことだ。
「……夕海がな、腹を立てていた」
言いにくそうに、山神はぽつりと口にした。
気の強い夕海は、由良間の怪我を知ると高遠にあたったらしい。代わりに刺されろとまでは言わなかったが、マネージャーの癖に由良間を守れなかったのかと、非難したようだ。あの現場を見ていないからこそ、そう言えるのだろう。傷への心配と、これからの仕事に関しての心配が、彼女の神経を逆なでしたのだ。
「無茶いうなよ」
「確かにな、だがこっちからすればそう思うのも仕方ねーだろ?アイツを付けたのは、お前に怪我させるためじゃあない。次の仕事に支障が無いようにだ。それをこなせないんじゃあ意味がない。そう思わないか?」
「……何が言いてぇんだ」
「暫く、お前から高遠を外す。元々アイツは団全体のマネージャーだからな、お前個人の使いっぱしりでも持ち物でもねぇしな。いらぬ目がついているって気づいてるか?テレビに出る俳優程じゃあねぇが、お前もマジック界じゃあちったぁ名が知れているし、マスコミってのはいつだって新鮮なネタを求めてんだよ。そういう奴らにお前と高遠のお遊びを知られるわけにはいかない。お前のファンも、そういうのを知りたがるようなヤツはいねぇだろ」
言外に山神は二人の関係を見直せ、そう告げて来た。
団長の言葉に、由良間は押し黙った。否定も肯定もするつもりはない。下手な言葉を言って、言質を取られるのを嫌ったのだ。
個性的な団員を纏める団長なだけに、山神は頭がまわる。人間関係の機微にも敏く、些細なことからやり込められることも少なくない。唇を噛んで顔を反らした由良間に、山神は深いため息をついた。
「……さっきも言ったが、暫く高遠は他の団員の相手をしてもらう。こっちにも手が足りてないからな。まぁお前もまだ人の手が必要だからな、代わりにさとみや、桜庭の手が空いている時はお前を手伝わせよう」
「さとみは兎も角、桜庭だなんて左近寺が怒るんじゃねぇの?」
「別にアイツの手下ってわけじゃあないぞ」
「気に入って使ってるんじゃないの?」
気が合うのか何なのか、ショーがはけた後も一緒にいる様子を見ることがある。一方的に左近寺が上機嫌な様子で桜庭に話しかけていることが多いが。本気で嫌なら桜庭も避けるだろう。
「そういうわけじゃあない」
首を振る山神に、由良間は以外だと感じた。あの左近寺の事を、由良間はよくわからない男だと思っていた。頭が良く回り、人付き合いも悪くはない、客への愛想だって良い。由良間は舞台が終われば、その後観客と話したいだなんて欠片も思うことはないが、カードマジックを主とし、またクローズアップマジックが多い左近寺は人当たりの良さを見せて、客やスタッフと話している。しかし彼の笑っている時の眼差しに、ざわりと背筋を逆なでされるような不快感を覚えることもある。積極的に彼を嫌っているわけでも、また恐れる理由もない……だが本能的に距離を感じるのだ。
夕海の相手を高遠がするのであれば、精々使いっぱしりだの、荷物持ちだの簡単な命令をこなすだけで済むだろう。だが左近寺に関しては、想像がつかなかった。あの男が団員に何かをするなどとあり得ないと思いつつも、高遠を彼に預けるのには抵抗があった。奇妙な得体のしれなさを、由良間は無意識に左近寺に感じているのかもしれない。
「高遠には、左近寺は荷が重すぎるんじゃねぇの?」
「そうでもないだろう」
先程から、どこか山神は左近寺を理解している風だった。それは団長としてだろうか、それとも何も知らずに盲目てきに信頼しているだけなのだろうか。
抵抗を感じながら、結局由良間は山神の判断に従うことになった。いつでも独立していいと思っているが、団長に逆らうつもりはなかった。彼が幻想魔術団にいて自由に出来るのも、山神が団長だからだと理解していたし、彼に従うのが結局正しいのだとわかっていた。
距離を置く、それは二人の関係にしても重要なことなのかもしれない。少なくとも由良間にとっては……彼は今恐れを感じていた。自分よりも、自分自身よりも高遠が大切だと、胸をしめるのだと言う、その事実が。
大切な物なの、今まで何もなかった。彼の中にあるのは、マジックであり、人々からの称賛だけだ。愛され続けた男は、愛憎に関して鈍感になっていたが、同時に大切な物を失うことへの恐怖は人一倍あった。大切な物を作る恐怖……それは自分自身さえも作り変えられるような、そんな恐ろしさだ。
何故そのような恐れを感じるのか……それはきっと高遠から、自分が望む様な感情を得られないのだと無意識に感じ取っていたのかもしれない。それは左近寺を無意識に怪しむように、山神に逆らうまいと無意識に考える様に……人の心に疎いからこそ彼は真実に誰よりも近い場所にいた。
由良間の耳の奥にあるのは……南島が言った「可哀想」という言葉だ……高遠が言ったと言うその意味は、由良間には全く分からなかった……ただ酷く虚しさを感じていた……



由良間の見舞いを終え、事務所に戻って来た山神は開口一番に暫く由良間に近づかないようにと厳命した。彼が言うに、マスコミが周辺を嗅ぎまわっているため、オフの時なども近づいて刺激しないようにとのことだった。マネージャーがオフの時に側にいて、何故刺激することになるのか、そう尋ねようとするまえに、ひたりと寄せられた山神の眼差しが二人の関係を示唆していた。
元よりわざわざ隠していたのものではない。性に奔放な由良間の、遊び相手であることはとうの昔に知られていたのだろう。しかしそれで平然としているわけにもいかず、
「えっ」
と小さく声をあげて、高遠は頬を染めて下を向いた。恥じ入っている風に見せると、山神が溜息をつくのが聞こえた。
「俺も野暮なことがしたいわけじゃないんだがな」
どこか言いづらそうにしている山神は、二人の関係を非難しているわけでは無いようだ。
二人の関係……そう思って、高頭は内心自分の考えを嗤った。スタンダップマジックの貴公子ノーブル由良間と、しがないマネージャーを装いながらも真実は彼へ地獄へ突き落すべくいる高遠遙一には、何ら関係など存在しない。精々が憎しみだ。山神が思うようなものがあるはずもなく、存在しないものに対して何を気に留める必要がある。だが、気弱で由良間の言うがままに恋人もどきをしているマネージャーなら、それを気にするはずだ。まるで自分に言い訳をするように、高遠はそう考えた。
「もう少しすれば由良間も退院する、傷が傷だからな暫くはショーに障りがでるだろう。舞台に立たせず他の仕事を回す予定だ。本来なら一人でさせるところだが、一応怪我人だからなさとみをつける。お前にはさとみが抜けた穴を埋めてもらうつもりだ」
「……わかりました」
おそらくさとみをつけるのは、お目付け役といったものもあるのだろう。これまで何度も事件に巻き込まれてしまった結果、高遠と由良間はその点に関してすっかり山神の信頼を失ってしまったのだ。
その話から数日後、由良間は退院し世田谷の事務所へと戻ってきた。山神が言っていたように、傷のせいで彼の行動はどこかぎくしゃくとし、痛み止めとポーカーフェイスで簡単なマジックを行うのが精々であり、普段のように生きたマリオネットを操ったり、観客をマリオネットの如く自由に操り夢を見せることも出来ない。
彼が今団の為にできることは、広告塔として会食だの取材を受けることだけだった。それこそが最もこの自由な男にとって嫌な事だろう。彼はマジック以外の多くのものを嫌っていたのだから……不機嫌な様子を隠さない由良間にさとみは困惑し、幾度も高遠に助けを求めるような目を向けてきたがさりとて彼女を救う方法を、高遠は持っていない。気まぐれな由良間は、いつだって勝手に不機嫌になり、勝手に上機嫌になる。そういう男だと、高遠は思っていた。
由良間の世話から離され、高遠は事務所で仕事をすることが多くなった。さとみの抜けた穴を埋める様にと言われてはいたが、助手のまねごとは出来ても見習いのまねごとは出来ない、高遠のマジックの実力を知らない彼らは、結局高遠の手を借りることは無かった。
使いっぱしりするにしても、いつも通りである。なので由良間のお世話係から免れた今、普段よりもとても楽が出来ていた。団員たちは皆個々でスケジュールを把握しているため口煩くいう必要もなく、オフの時間を気まぐれで振り回されることも無くなり、実に有意義に過ごせていた。何て楽なのだろう!そう感動するほどだ。
元々彼らの元に入り込んだのも、由良間の世話をするためではない。こうしてできた時間は、彼らの為に使ってやらねば、そう素晴らしい芸術犯罪の計画を練るために、それが『恩返し』というものだろう。
実家を知らせるつもりもないので、わざわざ都内に借りたワンルームマンションで、高遠は操り人形を取り出した。あの女主人が作ったものとは違う、少し不気味で不恰好な人形。道化めいた様子は、見る人の目に恐怖を抱かせる。その人形を適当に箱の中に入れ、机の上に置いた。
少しの間箱を眺め思案した後、高遠はおもむろに机の引き出しからSDカードと骨を取り出した。小さな、白い骨……爪程度の大きさでしかない骨に見覚えがあった。それはあの女主人の館の隠し部屋へ続く道にあったものだ。
……Mr.の処刑台に隠されていたバジル人形は、とても素晴らしい出来だった。平凡な容貌ではあるが、滑らかな肌に悲しみを帯びたガラス玉の瞳はまるで生きているかのようだった。優れた人形師の手で作られたことは明白であり、そこから骨との関係性を思えば自然そう考えられた。
彼女がMr.と関係があり、注文を受けて作ったのであれば、先日由良間を館へ呼んだこと自体、何らかの思惑があっての事ではないかと思えてくる。
人形を傷つけたのだという理由も関係なく、由良間を殺すつもりだったのではないか……というのは穿ち過ぎだろうか。
破滅を厭い、由良間を捨てながらも何れ救うべく絵や人形を残していた男。彼を賛美し、誘い、水に沈め殺すつもりだった女……それは汚泥とは違うが、彼の虚栄・傲慢から来た恐るべき死に水……いささか量は多いものの、彼の時を止め破滅させるものだ。
雨は山に堕ち、やがて川となる。それはあの哀れな気狂い乙女が身を沈めた物も同じだ。泥まみれの死の底へ引きずり込むもの。
南島とてそうだ。汚い水たまりに足を撮られるように、彼の知らぬ過去が、由良間を死へと導こうとしている。
恵みの雨がもたらしたSDカードには、一体何が潜められているのか。それは新たなる災厄をもたらすものか、それとも一握りの希望か。『全てを与えられた女』でさえも、抗えずに手を出してしまった魅力がそこにはあった。
だがきっと由良間はもう、このSDカードの存在も、嫌悪した骨でさえも忘れているだろう。南島が言ったようにあの男は、何もかもに執着しない。なんたる不実な男だろうか、死して尚破滅せぬように苦心し、献身的な気遣いをしていたMr.の気遣いは一切由良間には届いていない。南島も哀れなものだ、あんな男に敵愾心を抱いたばかりに、最終的に高遠に殺される羽目になったのだから……
あの男が触れて来た感触を思い出し、僅かに高遠は顔を顰めた。節操故等と言うことはない、男だろうと女だろうと、抱くのも抱かれるのも興味は無い。だからこそ由良間に手を出されても拒絶はしなかった。手段の一つとして有効だと感じた程度だった。恐らく由良間を挑発し、見世物のように抱かれることに嫌悪感をもったのだろう
(さて……カードをチェックするかどうしましょうか……)
高遠はしばし考え、自然と人差し指が唇に触れた。由良間の血の味を思い出すように舌を絡めるも、そこにあるのは特に何の味もしない自分の肌だ。
だくだくと流れる血を思い出すと、少し惜しいと感じずにはいられなかった。由良間の体に残るのは、高遠がつけたものだけになるはずだったのに……
背中の傷のせいで、暫くマジックができなくなる、だなんて何ということだろうか。あの南島は、本当に要らないことばかりをする。遺産だろうと、Mr.の関心だろうと、好きに持って行けばよかったのだ。由良間に関わらず、高遠の邪魔もせず、勝手に生き狂い死ねば良かった。マジックを無くした由良間など、何の意味も無いと言うのに……
さとみと一緒にいた姿を思い出し、高遠は軽く親指の爪を噛んだ。何故だろう、際限なく神経を逆なでするこの苛立ちは……おそらくそれは本来の犯罪芸術の為の計画を狂わせかねない、南島への苛立ちなのだ……そうに違いない……死した人間に抱くには遅すぎる苛立ちを振り払うように、高遠は携帯電話を手に取った。

  • 最終更新:2016-11-27 01:49:18

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