由良高リレー17

煙草を口に咥え処刑台を眺めながら、由良間は忌々しい感情に包まれていた。
あれ程屈辱的に由良間を貶め捨てた男は、その言葉の反面惨めに死を迎えた。あの男をいつか見返してやる、その思いで居たのは彼への執着心ではなく復讐心からだった。当時からあの男へ感じていたものに、愛情などと言う甘やかなものは一切ない。
当時は余りに若く物の道理を知らず、水商売の道を生きるためにこの身さえも投げ出すのが早道と、まるで売女のような真似さえした。その愚かな過去を思い出すたびに、由良間の高い矜持は苛まれ、不愉快さに包まれる。そうして過去を振り切るように、自分に愚かな愛を捧げようとする女たちに、同じような真似を繰り返しては愉悦に浸った振りをするのだ。
世界の舞台に立ち誰からも称賛され栄光を身に纏った姿を見たあの男が、過去の愚かさを懺悔して足元に縋ってきた時、その頭を踏みつけてやるのを何度夢想しただろう。だがその妄想も最早実現することもない。それどころかそうして憎んでいると言うのに、その男当人には死を悼みに戻ってくるなどと思われているのだから、あの男の思い上がりの様、そしてそう思わせた過去の自分を呪わずには居られなかった。
展望台を眺めながら、そこに人形のようにぶら下がる男の姿を目に浮かべようと思ったが、どうにもうまくいかなかった。
首に食い込む縄や鬱血し腫れあがった顔、だらりと垂れた舌に異臭が漂う室内……それらの様子とあの男がどうしてもイコールで結ばれることは無い。そんな気持ちで眺めていたからか、展望台の窓に人影が見えた。おそらく弁護士かそれとも別の人間か。目の錯覚かはわからないが、真実などどうでも良かった。
「さて処刑台に行くとするか」
声をかけると、高遠は気遣うような目で由良間を見た。
眼鏡の奥の琥珀の瞳は、日の光を浴びて輝いている。女たちのように抱いてきた男は、しかし彼女たちのように捨てる気持ちを微塵も起こさせない男だった。マネージャーだから、などというわけではない。どんな立場であろうと、鬱陶しくなればいつだってゴミ同然に捨ててきた。だがきっとこの男を、そしてこの関係を自分から捨てることはないだろう、そう由良間は感じていた。
「あれ……?今日お会いするのって、弁護士の方だけですよね」
「その予定だけど?」
「車が三台ほど止まっているようなので……他に人がいるのかと」
高遠が駐車場に止まる車を指さした。一台の車には見覚えがある、確かにあの弁護士の物だ。だが他の物については見覚えが無かった。
「天涯孤独だったとしても、人付き合いが全くなかったわけじゃねぇからな。それか葬儀の関係で誰か来てるんじゃねぇの」
自殺と言うこともあり、未だあの男の葬儀は行われていない。参列するつもりは今の所無く、今日を限りにあの男のことは全てこの地に埋葬するつもりだった。
「そういうこともあるんですね」
ふぅんと気の抜けた高遠の言葉を聞き流し、インターフォンを鳴らした。
『はい、どちら様でしょうか』
懐かしい声が機械越しに届き、口の端を歪めた。まだここに居たのかという気持ちが強かった。
「由良間だ、弁護士と約束をしてるんだけどよ」
『ようこそいらっしゃいました、少々お待ちください』
インターフォンが途切れるとほぼ同時に扉が中から開けられた。開いた扉の先には、五十過ぎの女と二十そこそこの女の二人が、クラシカルなメイド服を着ていた。
「お久しぶりにございます、由良間様」
「あぁ……アンタまだここに居たんだな」
あの男と関係があった時も、この女が女中として勤めていた。名前は一二度聞いた程度で殆ど覚えていないが、木下と言ったか……木下は柔和そうな顔に少しの悲しみの色を刷いて、口を開いた。
「最後のご奉公として、この館の行く末を眺めてからと思っています」
「ふぅん……そっちの、娘だったっけ?随分とでかくなったな」
この館で住み込みで働いていたため、娘の方とも面識があった。美佳と言ったか美穂と言ったか、名前の方は定かではない。ただ小さな女の子がいるという程度の記憶で、こんな変態オヤジの元に小さな子供を連れて住み込むだなんて、余程生活が苦しいのかと言った同情を抱いていた。しかし彼女たちの様子を見ると、亡き主人を憎んだり嫌悪している様子もない。案外身内には手を出さない主義だったのかもしれない。
「ありがとうございます、あの頃より背も伸びましたので」
娘がにこりと笑うと、木下は由良間たちに向かって「応接室にご案内いたします」と中へ入るように促した。
「場所、変わってねーなら知ってるから別にいいわ。アイツももう居るんだろ?」
「弁護士の古田様でございましたら、只今書斎に居られます。美穂、古田様をお呼びして来て」
「はい、お母さん」
ふと視線を感じ、由良間は立ち止まった。しかし周囲を見回しても、視線の主など見当たらない。気のせいかと首をさすると、高遠が気づかわし気に名を呼んできた。
「いやなんでもねぇよ、さっさと話を済ませてタクシー呼んで帰ろう」
「本当に大丈夫ですか?……僕に何か出来ることがあれば言ってくださいね」
木下の手前、高遠に触れることは出来ないが揺れる琥珀の瞳に機嫌が上向きになるのを感じた。先程の視線や展望台の窓に見えた人影など、ただの錯覚だろう。
「お前は側にいてくれるだけで十分だ」
誰にも聞こえないように、高遠の耳元で囁き、由良間は応接室へ向かった。



耳元に落とされた言葉に、高遠は咄嗟に耳を抑え顔を薄く朱色に染めた。当然それは演技であったが、由良間にそれを悟らせることはない。
この館に来ると決まってからというもの、普段は根明で単細胞な性質の由良間が時折沈んだ顔を見せていたのが気にかかっていた。館の前に立ってからはより顕著になっている。過去に縛られるなど、まるでらしくない様子だった。美しい横顔がわずかに強張るのを見るたびに、神経が逆なでされるのを感じていた。
そもそもこの館に来ることに関して、高遠は乗り気では無かった。過去の清算の為にと由良間は言っていたが、本当にそれだけで済むのだろうかという思いがあった。普段由良間は余り人に対して執着を見せることなく、あの捨てた恋人……結局は高遠が『処分』することになった女性に対してさえも、最早記憶の端に残しているのかさえも定かではない。そんな男が何年も前に別れた……捨てられた男の死に対して、わざわざ何かを……遺産目当てであろうとなんであろうと、することに対して不満を持っていた。
彼を縛る過去など、何一つとして存在しなければいい。唯一存在していいのは彼自身の罪……近宮玲子に関してだけあればいいのだ。それは同時に高遠と由良間とを繋ぐ深紅の糸となるのだから。
年配のメイドの案内に従い、高遠たちは応接室へと案内された。ソファに座り彼女から紅茶を受け取ってもらっていると、先程の女性と弁護士が現れた。
「お待たせいたしました、ご足労感謝します」
「挨拶なんていいから、さっさとサインだのなんだのは済ませようぜ。処分するのを認めればいいんだろ」
法定相続人がおらず、また遺産相続人として認められていた由良間以外の三人が居ない為と、面倒を押し付けられたと言わんばかりに彼は舌打ちをして言った。しかしそんな由良間に弁護士は眉をしかめ、重々しく口を開いた。
「申し訳ありません、由良間さん。実の所先日お話しした時と状況が変わりまして……」
「なんだって?態々こんな辺鄙なとこまで来させておいて、無駄足だとか言うんじゃないよな?」
不快気に由良間は眉を寄せ、カップを手に取ると紅茶を口に含んだ。今回ここに来るために、二人はわざわざ休暇を取ってやってきたのだ。先日から団長に目を付けられていたため、本来であればこうして休みなど取りたくはなかっただろう。
「いえ……あのですね」
弁護士が説明をしようと口を開こうとした時、廊下へと繋がる扉の先から若いメイド「お待ちください」と悲鳴のような声が聞こえた。その声が聞こえると同時に荒々しく扉が開かれ、そこから三人の男女が入り込んできた。見るからに興奮し怒りに顔を紅潮させている様子は、ただ事ならぬものを高遠に感じさせた。
「アンタが、由良間ね!」
その中でも気の強そうな釣り目のショートカットの女性が、ソファに座っている由良間につかつかと近寄ると、突然ビンタを張った。
「いってぇ、何するんだ!」
衝撃で彼が持っていたカップは地面へと落ち、がしゃんと音を立てて割れる。張られた頬は赤く染まり、唇の端が切れている。
「わかってるのよ、あんたが、どうせあんたが姉さんどこかに浚ったんでしょう!」
興奮しているのか、どもりながら何度も同じことを言う女を由良間は睨み付けながら「はぁ??何のことだ、つぅかお前誰だよ」と尋ねた。普段であればもう少し愛想もよいのだが、客ではなく突然殴ってくるような相手に対して短気な由良間は不快感を隠すことなくソファから立ち上がると睨み返した。
「落ち着いて下さい、由良間さん」
もしや女に対して殴り返すつもりかと、咄嗟に由良間の体にしがみ付くが、さしもの由良間も女を殴るつもりは無かったのかただ睨み付け返答を待っている。
「朝日さんも落ち着いて下さい、他の皆さんも……!」
「邪魔をしないでください弁護士さん。こいつが遺産を独り占めするために何かやったに違いないわ」
「たった一人の相続人だなんて怪しいことこの上ない」
「こいつのせいでうちの家族が失踪した……いやこいつが殺したとかもあるかもしれないだろう!警察に行ったっていいんだぞ」
口々に飛ぶ非難に由良間は目を白黒させている。その様子を見ているだろうに興奮している三人は、非難を止めることなくどんどんとヒートアップさせ、それに触発されたように由良間は徐々に怒りに体を震わせ始めた。
「あんなクソ見てぇな奴の遺産を独り占めするために、そんな面倒なことなんてするかよ!言いがかりはよしやがれ、警察だ?良いぜ幾らでも行きやがれ、アンタらの言ってるやつらの事なんてこっちは微塵も知らねぇんだ、知らねぇやつを殺すだの失踪させるだの出来るわけがねぇだろ、ばぁああか」
「落ち着いて下さい、由良間さんそんなこと言わないで」
相手を挑発するようなことを言いだす由良間に、表面上はらはらした様子を魅せながら、高遠は三人を観察していた。朝日と言われていた女は、二十段後半の細身の美人であり、その後彼女に賛同するように口を開いたのが、少しおどおどと怯えた様子の中年男……失踪した誰かの父親だろうか、それともう一人三十代前半のカジュアルな格好をした天然パーマの眼鏡の男、家族と口にしていたから失踪者の兄なのかもしれない。見目だけで判断しようは無いが、朝日以外の二人は彼女の興奮につられているだけのようにも見えた。
「由良間さんのおっしゃる通りです、彼はお三人の事も、遺言書の事も何もご存知ではありませんでしたから。それに話している途中です、邪魔をするのであればこの館から出て行ってくださっても構いませんよ。貴方方に私と相続人の話し合いを邪魔する権利はありませんからね」
弁護士が強い口調で言い出すと、朝日はぐっと言葉に詰まり苦虫をかみつぶしたような顔を彼へ向けた。怒りか姉に対しての不安かはわからない、うっすらと目に涙を湛えて弁護士を睨み付けるが、古田はその様子を冷ややかな目で眺めていた。
「……早く、この部屋から出て行ってください」
「わかったわよ、でも私は絶対に由良間、あんたを許さないんだから」
気炎を吐きながら、彼女は入ってきた時と同じように忙しなく部屋を飛び出し、後の二人も彼女を追って出て行った。
「なんだよあいつら、頭おかしいんじゃねぇか」
「大丈夫ですか由良間さん……」
「申し訳ありません、あの方々も普段はもう少し落ち着かれていらっしゃるのですが……ご家族の失踪が堪えられてるのでしょう」
まるで古なじみのようなことを口にする。この館の主人の弁護士であれば、相続人の家族と知り合うこともあったのだろうか。
「あいつらが騒がしいから、予定が変わったってわけか?」
「いえ、その事もありますが実際今回の事に彼らが口出しする権利は当然ありません。相続人が失踪されたのも、被相続人が亡くなる前ですので、今回の件とは無関係ではないかと警察の方も判断されています」
だが三人もの人間が相次いで失踪し、その共通点として遺産相続人であるとすれば、対して捜査もしていないだろうに無関係だと判断するのは早計ではないのか。捜査を面倒がっている、という節もあるのだろう。被害届や失踪届けについて日本の警察の初動は遅く、また致命的なほど熱意が足りないのだから。
「じゃあ、どんな理由が……」
「それは、僕のせいですよ由良間さん」
由良間の言葉に被せる様に、声が掛けられた。声に振り向けば、茶髪の軽薄そうな雰囲気がしたスーツを着た男は、注目を浴びるとにっこりと笑みを浮かべた。
「災難でしたね、朝日さんたちはどうにも一度興奮すると手が付けられないから……僕も散々詰られましたよ」
「アンタ誰だ?俺のことを知っているようだけど?」
由良間に誰何された男は、前髪をかき上げながら、「生前は父がお世話になりました。この館の主人の息子です」と言った。
髪をかき上げた拍子にチラリと見えたピアスが、光を反射する。笑みを浮かべてはいるものの、どう見ても友好的ではない。この男には油断でき無さそうだ、そう高遠は感じていた。
「そんな話は聞いたことないぞ、アイツに家族はいねぇはずだけど」
アンタもそう言ってただろう、と由良間が弁護士に話を振ると、彼は溜息をつきその事を話すつもりだったのだと弁明した。
「ああ、古田さんを責めないでください。父は僕の事を知らなかったんですよ。なので戸籍にも、遺言書にもなにも記入されていない」
「この方は、被相続人の死後認知を受けたいと申しだされまして、その手続きの為に本日全ての処理を行うことは不可能になりました」
死後認知とは、法定相続人ー戸籍上の家族や認知されていない婚外子、所謂私生児以外が相続権等を主張する際に行うことだ。普通その場合は既に火葬まで済まされていることが多いので、被相続人の親類、子供や親兄弟とDNA鑑定をすることになる。今回はまだ火葬されておらず、また天涯孤独なため、被相続人の死体からDNA鑑定することになるのだろう。不思議そうな由良間にかいつまんで説明すると、彼は顔を顰めて「うへぇ」と舌を出した。
「勿論鑑定には正しい結果が出ます。偽証なんてしようがありませんからね。そして法律が誰が父の財産を受け取るのが正しいかを教えてくれますよ」
本来由良間は当然法定相続人ではなく、特定遺贈の対象者である。遺書の前提が崩されるため、全ての財産ー被相続人が本来譲ろうとしてたものと、そうではない金銭や負の遺産等も由良間の元にやってくることはなくなるのだ。
「ふぅん?なら俺が面倒事を押し付けられずに済むってことだ?それこそ願ったりだな」
由良間の言葉に偽りは無さそうだった。しかし高遠は由良間の苛立ちを強く感じていた。それが自分以外に被相続人の関心の対象がいた苛立ちなのか、それともこのように無為な敵意を受けることへの苛立ちなのかはわからない。もしかすれば彼のことだから、その両方であるのかも知れなかった。
「でもよ、受け取るような財産を、あのジジイが持っていたって本当に信じてるのか?」
せせら笑うようにして由良間が言えば、ピアスの男は小さくため息をついて同意した。
「確かに、父は非常に資金面で苦労していました。何度も新聞などにも取沙汰されましたし、由良間さんもご存知かもしれませんね、多くの借金もある……しかし本当にそれだけだと思っているのですか?」
「アイツが何を持っていたなんて、俺は知らねぇよ。長く会うこともなかったしな……もし何か持っていて、アンタがそれを知っているなら……あの身内だとかいう奴らは、俺よりもアンタを疑うべきじゃないか?」
長い指で唇に触れ、そこにある傷を撫でながら由良間は挑発的に笑った。
「だってそうだろう?アンタが出てくるんなら俺が他の奴らのものまで貰うなんてことは絶対にありえない、もう貰うものは決まってるんだからよ。他の奴らが居ようと居なくなろうと俺には関係ないが、アンタには関係おおありってことになるからな」
「……そうなるかもしれませんが、勿論僕も本来あの方々の遺贈分まで手を付けるつもりはありませんよ、僕はただ認知を受けたいだけなのですから」
「はっ……どうだか」
生きている間に出てこなかったくせに、そう言いたげな由良間の笑みに、ピアスの男は薄ら笑みを消した。すると吊りあがった目に、ぎらついた感情が込められているのが見て取れた。強い憎しみか、それとも反発……どちらにせよ由良間に対してよい感情は無いようだ。
「まぁいいさ、じゃあ俺の取り分だけをくれよ、それでもう今日は帰っていんだろ?他の事はコイツに任せておけばいい。あの身内どもと好きなだけやり合ってくれ」
「では、ここに持ってくるには部屋も荒れてしまいましたし……客室に置いてありますので、そこにご案内いたします」
「じゃあそういうことで」
軽く男に声をかけて由良間は弁護士の後を追った、高遠も早く来いと言われ由良間の後を追いながらピアスの男を振り返ると、強い目で由良間の後ろ姿を追っていた。
「つぅー、ったく最悪だぜ。こんな所来るべきじゃなかったな」



客室につくと、弁護士は書類をいくつか机の上に置くと、由良間にサインを求めた。彼がサインをしている間に高遠はメイドの娘から救急箱を受け取った。元々少しの手続きだけをする予定だったらしく、そういくつかのサインを済ませると、由良間は紙に包まれた一枚のキャンバスを受った。
「これだけなのかよ?」
「えぇ貴方にはこの包みの中にあるものは全て貴方の物です」
渡し終えると弁護士は全ての処理を終えたと宣言した。
「じゃあもう俺は用済みでいいんだよな?」
「はい、本来の手続きはこれにて終了しました」
言うと、他の方の手続きがあるからと言って弁護士はソファから立ち上がった。
手続きと言っても、DNA鑑定はまだ結果も出ておらず他の相続人の家族たちとの手続きなどあってないようなものだ。
弁護士が出ていくと、高遠は救急箱を開いた。
「由良間さん、少し遅くなりましたが手当をしましょう。頬も赤くなっているし、唇も切っていますから消毒だけでもしましょう」
「小さい傷だから、もう塞がってるだろ……ちっ商売道具に傷をつけやがって」
舌打ちをすると丁度傷に障ったのか痛そうに由良間は手で口をおおった。
「くそ痛ぇな……女じゃなかったら、殴り返してたぜ」
「やめてください、そんな事……人目のあるところですれば、一体どんな噂になってしまうかわかりませんよ」
アイドルや人気歌手程ではないが、由良間もまたパパラッチに追いかけられるような人種である。今回の事も、遺産相続の時点でパパラッチの注目を集めるのではないかと団長が危惧していた程だ。
「あの人たちの誤解を解かないと……これからもずっと失踪が由良間さんのせいでだなどと思われて騒がれでもすれば困ります」
「俺のせいなんておかしいだろ、さっきも言ったけどよあの自称息子の方が怪しいじゃん。なんであいつらそいつよりも俺の方に食ってかかってくるんだよ」
ぶつくさと文句を言う由良間の傷を消毒し、少し赤く染まっている頬に湿布を張った。
「冷たくてスース―する……」
「腫れないといいのですが」
明日も夜には仕事がある。大きな舞台であれば遠目ならそう目立つこともないが、残念ながらセレブのパーティーに呼ばれている。最も個人的なものと言っても百人単位のものではある。パーティー会場に舞台を作って、由良間と山神夫婦の三人が呼ばれていた。舞台でのショーが終われば、観客たちの側でマジックを行うとも聞いている。
「もし腫れたら、マスクでもつけるか。うちにもあったろ?ファントムみたいなの」
「普段つけ慣れていないものをすると、手元が狂うかもしれませんよ」
「誰に言ってるんだよお前、目を塞がれていたって誰にもばれないマジックくらい出来るさ」
「ふふふ、頼もしいですね」
傲慢なまでの自信を見せる由良間に、苛立つよりも不思議と安心するような気持ちを抱いた。自信のない姿や不安そうな様子よりも見慣れている。
「ったく……最低な気分だ」
「……御子息がいらしたからですか?」
資産が欲しかったわけではないだろうが、それでも由良間にとっては……あの男の関心を自分以外の人間も持っていたことに対して不満なのだろう。
「別によ……資産だの何だのはどうでも良い。言ってるだろずっとさ、興味がねぇって。嘘なんかじゃねぇぞ……」
湿布を張られた頬を撫ぜてから由良間は悩むように目を揺らした。
「死体を漁ってまで……認知されたいものなのか?財産なんてねーだろあのクソジジイには。どうせ借金を背負うだけだろうが」
溜息をつく由良間には恐らくルーツを持たぬものの不安さや納まりの悪い気持ちなど感じたことはないのだろう。人に愛されることに慣れ、認められることに慣れた男は親と言う確固として自我の一部を必要としていないのだ。
「俺とそんなに変わらねぇ年だったな、俺より下か……まぁお前よりかは上だろうが」
「やはり、親子として認められることが重要なのではありませんか」
「あんな奴だってのに?」
皮肉気にゆがめられた唇の端に、由良間は侮蔑を乗せていた。無様な変態野郎、思い上がった末に足元の泥水に掬われ、それから逃れるために首を吊ったクソ野郎。そう思っているのだろう。
「やはりルーツは大切ですから……尊敬出来る相手かどうかは最早関係ないのです。そこに依存するわけではありませんが、証明されるということは同時に自分自身を知ることになる……」
「そういうもんなのかよ?でもよ、そんなルーツだなんて……関係あるのか?親なんて居なくたって生きていける、例え知らないでいても、認められたいって気持ちはあるのかもしれないけれど。依存するつもりが無いなら尚更、頼りになるわけでもないものよりも、これまで出会った人間との関係こそが大切なんじゃねぇのかよ?」
彼の言うこと自体決して間違っているわけではない。ただ単純に価値観が違い、そして彼は自分と違う価値観をどこまでも理解できない男だった。
「その出会いが無かったら……?それともその出会いを失っていたとすればどうですか?由良間さんも……今まで培った関係、人脈も友人関係も……そう幻想魔術団さえも存在しなければどうでしょうか。もしかすれば彼はとても孤独な人なのかもしれませんね」
あの男が本当に孤独であるなど、言うつもりはない。実際に息子であるのか、それさえも定かではない。その真実など高遠にはどうでもよかった。このように由良間に逆らうような言葉を言ったのは、この館の主人の存在を知ってから胸に積もり続ける屈託の性に違いない……そんな高遠の気持ちを知らずに由良間はあっけらかんとした表情で言った。
「もしそうなったとしても、お前が居るだろう?なら別に問題ないじゃん」
「えっ……」
「魔術団が無くなって伝手も無くなりゃ、まぁ面倒なことも多いだろうけれどよ、俺にはマジックがあるし、手に職ってやつ?どこでだって生きていけるだろ」
「……あの魔術団との関係も無くなれば、私とも関係が無くなるのではないのですか?」
恋人のように体を重ね、服を買ったり甘い言葉を交わしながらも、同時に他の女を愛人に持つこともある。由良間にとって高遠など性的な関係も持てる便利なマネージャー程度に違いないと思っていた。しかし高遠の言葉に由良間は心底驚いたように目を見開いた。
「何でそう思うんだ?」
「だって……私たちの……いえ僕らの関係なんて……」
「……ふぅん。まぁいいわ……そういう話しは、こんな所でする必要もねーわ」
由良間は新しく入れられたカップを手に取ると、それ返してこればと救急箱を指さした。途端に不機嫌になった様子の由良間に、高遠は戸惑い次いでここに居続ければ悪戯に彼の機嫌を損ねるだと判断し、高遠は救急箱を手に取ると、では言ってきますと小さく声をかけて部屋を出た。


気分屋の由良間はよく気を損ねるが、同時に負の感情を長く保たない。単細胞故の思考力の足りなさから、一つの感情が長続きしないのだと高遠は感じていた。由良間の気を損ねるようなことがあれば、部屋を出るなり気を反らすようなことをすればすぐに回復するだろう。
一体何が彼の気を損ねたのか、高遠にはわからなかった。朝日だとか言う女に頬を張られたことか、館の主人の息子を自称する男に不快感を覚えたからか、その息子の肩を持つような発言を高遠がしてしまったからか……
「あっ、メイドさん。これお返しします」
二階から降りてくる途中の若いメイドを見つけ、高遠は救急箱を軽く持ち上げて彼女に示した。
「お客様……!お手数おかけして申し訳ございません」
「いえ、僕が勝手に持ってきただけですので。ありがとうございます、湿布と消毒液を少し頂きました」
「由良間様のお怪我の方は大丈夫でしょうか?……あの方々はまさかあそこまでなさるとは思っておらず、ご迷惑をお掛け致しました」
静々と頭を下げる様子に、高遠はやめてくださいと苦笑して見せた。
「ところで……あの人たちはまだ館の中に?」
「えぇ、お客様方は皆さん館内にいらっしゃいます。朝日様と南島様は現在弁護士の古田様とお話しの最中でございます」
「南島……?」
「旦那様のご子息であると仰られている方です」
先程名前を聞くことが無かったので、説明を受けてあぁと高遠は頷いた。
その二人は館内に居る客人たちの中でも、特に由良間を煩わせた相手である。
「どうにもあのお二人は、由良間さんがこの館の旦那様から何かを譲り受けるのではないかと思っておいでの様ですね」
朝日の方は姉の相続分であろうが、南島の方はどこか含みを感じさせていた。
由良間には財産以外の繋がりを求めているのではないかと言ったが、それでも一人の男を絶望させ死へと向かわせるほどの負債をそのために背負うのはおかしなものだ。次いで繋がりを求めるのならば生前に幾らでも出来たはず……そうメイドの娘も思っているのか、南島の事を口にする際には僅かに眉を寄せていた。勿論それは些細な動きであり、高遠でなければ気づくこともなかっただろう。
「メイドさんはここにお仕えになられて長いんですか?」
「えっ、あっはい。私が幼少のころから母がここでメイドとしてお仕えしておりました。旦那様にはとても良くして下さり、この館から学校にも通わせて頂きました」
微笑む若い女性は、しかし同時に由良間を知っていると言うことは少なくとも主人の趣味なども十分に知っていただろう。
「丁度その頃由良間様もゆくこの館に起こしになられましていました。幾度かお会いし、その頃にマジックのお話しや、近宮マジック団の頃のお話しを聞くことも多くありました」
「そうなのですか……私は一年ほどで入団したばかりですのでその頃を存じ上げませんが……」
まさかここで近宮の名を聞くとは思わなかったが、しかし彼がプロになる前に関係を持っていたのだから、当然その頃になる。近宮玲子の目を盗んで二人は関係を結んでいたのか、それとも……いやその事は今はどうでも良いことだ。
「他の相続者の方々もこの館に訪れることもあったのですか?」
「えぇ……由良間さんがこちらにお越しになられなくなった頃に幾度か、皆さまとても才能にあふれた方々でした……といっても皆さまここ数年お姿を見ることはなく、ご家族の皆さまが訪れるまで失踪されたことさえも存じ上げなかったのですが」
言い終えると、彼女は少し言葉が過ぎたとばかりにそっと目を伏せてから他に用があるかと尋ね、高遠が何もないと言えば救急箱を戻すと言って去って行った。
若い才能をこの館の主人は愛し求め執着し、そして少年少女たちの柔らかい心にメスを入れ傷つけ心を支配したのだ。その悍ましいほどの執着心と残酷さ……彼らが求める時に手を振り払い、屈辱と苦しみを味合わせ、そうして反発心からいつか見返してやろうとする彼らの前で死をもって永遠の存在になった男……実に不快極まりなかった。
「あっ高遠さん!どうしてお一人でいるんですか?」
部屋に戻る途中に突然声をかけられ、高遠は立ち止まった。振り向けば息子を自称する男……南島がそこにいた。
「南島さん……何か御用ですか?」
弁護士と話していたと聞いていたが、話は終ったのだろうか。僅かに不審さを滲ませ見つめると、男は困ったように笑みを浮かべた。その笑みにその通りの感情が込められているとは、到底思えなかった。
「いえ、ただ僕が貴方とお話ししたいなと思っただけでして」
「お話をするようなことなど、無いのでは?」
この男の相手をしている時間が惜しい、しかしマネージャーの仮面を被っている今素気無く振り払うのもためらわれる。困惑を表面に載せながら彼を見ると、男は楽しそうに笑った。
……気に食わないタイプだ、自信のありそうなその笑みを見て、高遠はそう感じた。
人を魅了することに慣れた、そんな雰囲気を感じさせる。しかしその裏にあるのは、薄汚い計略を匂わせる。魅了し利用し使い潰しては捨て去る、成る程この男が館の主人の息子であるというのは、あながち偽りではないのかもしれない。少なくとも聞き知った部分ではあるが多くの点で、二人は良く似ていた。
「僕はね、高遠さん。貴方に会った時から運命を感じていたんです。貴方は凄く魅力的だ、どうしてあんな人のそばに居るんですか?気紛れで横暴で、人をこき使う・・・あの人に貴方は相応しくない。僕ならもっと貴方を大切に出来るのに」
「なっ何をっ……!?」
微笑んだまま伸ばされる手に、ぞっとおぞけが走るのを感じた。不快感に声が震えるのを、男は動揺か恥じ入っていると勘違いしたのか嬉しそうに目を細めている。なんと言う屈辱だろうか、尻の軽い女のように、簡単な甘言で惑わされると思われているのだ。
この男がいつ、由良間と高遠の関係に気づいたのか、いやそもそもこの男が自分の名を知っている理由を考えた時、高遠は内心で盛大な舌打ちをした。彼は事前に由良間の事を調べていたか、もしくは弁護士が二人を通した部屋での会話をどうにかして聞いていたのだろう。
「あの人の過去をご存知ですか?彼がこの館で行ってきたこと……とても醜く悍ましい……恥知らずな男の過去を……いくら成功したとしても、過去は変わらない。あの面の皮の厚いこと、貴方は騙されているんですよ」
男は高遠の肩に手を置くと、顔を近づけてきた。唇が触れる瞬間、身を離すとまるで子供や子猫の抵抗を見る捕食者のような目で、男は高遠を見て笑った。
「由良間さんが……待っていますから」
言い残し傍目も降らず高遠は走り出した。このような時演技を続けなければならないわが身が厭わしい、早くこの館から帰ってしまおう。このような場所で得られる物など何一つとしてないのだから。
由良間が待つ客室の扉を開いた瞬間、高遠の耳に布が裂ける音が届いた。何の音だ、そう思うまでもなく彼は壁に立てかけられたキャンバスと、そこに突き刺さった十数のナイフ、そしてその反対側に詰まらなそうにナイフを投げる由良間の姿を見て取った。
「何をしてるんですか?」
「ん……?暇つぶしだよ、お前遅ぇんだもん」
一体これほどのナイフをどこに隠し持っていたのか、マジシャンにそのような事を尋ねるだけ無粋という物だ。予想通りに由良間の機嫌は上向きにはなってはいないが、元に戻っているようだ。高遠が来たことにより遊びの時間は終わりだと判断したのか、キャンバスに刺したナイフを億劫そうに抜いては空中に消していった。
穴だらけになったキャンバスは所々破かれ、折角の絵を台無しにしていた。
「こんな状態だと持って帰れませんよ……」
「持って帰らなきゃいい、ここのゴミ箱には枠を砕いてもでかすぎて入らねぇか……まぁゴミだと書いて置いておけば捨ててくれるだろうよ」
ゴミとなった絵に興味は無いのか、由良間はキャンバスから背を向けた。気まぐれな男の様子に溜息をつきながら、高遠はキャンバスを拾い上げ、ふと破れた布の合間に小さな光を感じた。よく見てみれば小さな鍵が枠の側面に張り付けられていた。
その鍵を枠から外し、由良間に気付かれる前にそっと服の中に仕舞う。ゴミとして捨てても構わないが、直感的にそうするべきだと思ったのだ。
「なぁ高遠、ここって携帯通じないのか?」
「えっそんな、いえそのような事はありませんよ。タクシーから降りてからすぐに団長から明日のショーについての最終確認の電話がありましたから」
最終確認の内容は単純なもので、明日の昼までには団長たちと合流する……つまり由良間をきちんと送り届けるようにという命令だった。ショーをドタキャンするようなことは未だ無く、明日の夜のショーは由良間の好きな「金」になるショーである為だだをこねることも無いだろうが、保険として電話をかけてきたのだろう。
「でも、ほら圏外になってるぜ?」
由良間が示したスマフォには、確かに圏外の二文字が記されていた。

  • 最終更新:2016-08-28 09:46:49

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