由良高リレー13

山の上の人形劇は、女主人の失踪で終わった。
高遠に起こされた後に、由良間は館を後にする前に一言声をかけるつもりではあったのだが、その時には既に彼女の姿は無く、執事に尋ねても何も知らない様子だった。
ショーの前に既に契約書は交わされていたが、女主人が居なければ支払いはない。あちらからすれば、大切な女主人の失踪という大問題の前にした些細な物ではあろうが、こちらからすればただ働きに他ならない。
不満めいた顔をした由良間に、高遠は僅かに笑みを浮かべて
「そもそも、契約違反を犯したのはこちらですから……」
と窘めてきた。
幾度となく口煩く、人形を傷つけるなと言われてきた。彼女の失踪にも人形が傷つけられたことにショックを受けてではないかと、わざわざ世田谷の事務所に戻った後にやってきた警察にまで言われた。
しかし大の大人が、販売用に作った人形の一つが傷つけられただけで失踪したなど、正気の沙汰ではないだろう。
勿論人形を壊したことについて罪悪感が無いわけではない。自分自身への嫌悪感さえある。それ以上に失態への恥ずかしさに苛立ちを感じていた。
「手を滑らせるなんて最低ね。マジシャンに向いていないんじゃないの?」
館での出来事を知った夕海が、揶揄うように言った。
ぐうの音も出なかった。生きたマリオネットよりも軽く、また操り方も単純なそれを傷つけることなど本来あり得なかった。見習いのさとみでさえも、傷一つつけずに女主人の手元に返したことだろう。
集中が乱れていたなんて言い訳にもならない。その乱れた原因も自分の詰まらないプライベートのせいだ。過去の残滓を振り払うように、由良間は頭を振った。
窺うように団長を見れば渋い顔をしている。女主人の未払いに関してではなく、道具を粗末に扱ったことに関して憤っているようだ。
「今更弟子時代に戻りたいわけじゃないだろう」
「まぁまぁ、そこまで厳しく言うことはないでしょ団長。由良間だって十分道具の扱いは知ってるさ。ずっと手入れも運搬もしてきたんだからね」
取りなすように左近寺は言った。近宮マジック団の弟子時代には、沢山のマジック道具の管理は弟子に任されていた。道具を丁寧に扱うようにと、近宮にも口うるさく言われていた。館の女主人のように道具を子供のように愛するようなことは無かったが、もし僅かにでも傷つければ烈火のごとく叱られたものだ。
「でもうかうかしていると、折角の人気もなくなっちゃうかもしれないよ?団の№2でもさ」
続けていった左近寺の言葉に、軽く舌打ちをした。
「悪かったよ」
「本当にそう思っているの?」
由良間の言葉に夕海は眉を上げた。
まぁまぁと左近寺は笑いながら夕海の肩を抑えた。
先程から由良間をフォローするように口にしているが、その事に関しての感謝の念はさしてわかなかった。浮かべている笑みにどこか胡散臭いものを感じるからだろう。別に悪い奴ではない、付き合いは長く誰かの悪口だの厭味ったらしいことを延々と言い続けるようなこともない。人の懐を狙うような悪質さも無く、嘘をつかれるようなこともなかった。だがどうにも苦手な相手なのだ。
時折側にいると首筋がざわざわと逆立つときがある。魅力的な人間……綺麗な女や……高遠のような相手にも感じるが、左近寺に感じるものはそれらとは違うだろう。
その後損ねた信頼は仕事で返せとばかりに、大量に回されることになった。由良間の嫌うドサ周りに似たような物ばかりで、大半が飲食店やバーでの接客マジックだった。一日に何件となく回ることもある。スタンダップマジックとクロースアップマジックの両方を行い、小さな舞台の上でショーを行う。一つの店での時間は短く30分~1時間も滞在しないため、一人での行動が多かった。
ある程度仕事が落ち着いたころ、昼前に由良間は事務所を尋ねた。事務所の中には高遠が一人でPC作業を行っていた。他の面子は出先で仕事をしているのか、見かけない。互いのスケジュールを完全に把握しているのは、高遠と団長くらいのものだろう。
「お疲れ様です」
「なにしてんの?」
尋ねると見慣れた少し困ったような笑みを浮かべて、高遠は机に積み上げられた書類を指さした。
最近はドサ周りが多く事務所に寄ることも無かったので、少し久しぶりだった。オフの時に部屋に呼ぶこともせずにいたのは、まるで三流マジシャンのようにドサ周りしているダサい姿を見られるのが嫌だったのだ。
机の上に積まれた書類の山をぺらぺらとめくる。内容は契約書の類や出入金の書類だ。幻想魔術団を結成したばかりのころ、団長に教え込まれて何度か処理をしたことはある。書類仕事は得意ではなく、酷く詰まらなかった記憶ばかりあった。
「珈琲飲みますか?」
「いや、自分で入れる。お前も飲むか?」
「あっはい。お願いします」
立ち上がろうとするのを止めて、珈琲を二人分入れると高遠の隣に椅子を持ってきて座った。珈琲を受け取るとありがとうございますと受け取り、再び仕事に戻った。キーボードを滑らかに動く指は、まるでピアニストの如く華麗である。あの館でのマジックには苦い思い出が多いが、しかしピアニストの格好をした高遠を見れたのは良かった。大人しい姿も悪くはないが、ああして綺麗に着飾っている姿ももっと見れればと思った。
幻想魔術団の大規模なショーではマネージャーを表に出すのは難しいかもしれない。しかし前回のような個人的に呼ばれた場合……ドサ周りは除いてだが、高遠を使うのもいいかもしれない。その時は団長に高遠を借りる許可を一々取らないといけないのは面倒だが、それをクリアさえすれば、またあの様な姿を見れるかもしれない。
横顔を眺めている内に、ふと高遠の眼鏡に違和感を覚えた。同じデザインだが、傷が無い。とても些細な物ではあったが、そんな些細な傷が気になるのがマジシャンだ。
「眼鏡新しいものにしたんだな」
「えっ?」
「変わってる、デザインは同じだけどよ」
だがもしかすれば団長たちは気付いていないのかもしれない、人が掛けた眼鏡の傷は目に入らないものだ。
「気づいたんですか」
「何度外してやったと思ってる?」
耳元で囁けば、ふふっと高遠は恥ずかしそうに笑い返してきた。
どこか幼くさえ見えるその笑みに誘われるように手を伸ばし、前髪を払う。眼鏡の縁を指でなぞった。
「どうせならもっといいデザインの物を買えよ」
「これ駄目ですか?」
美しい顔が黒縁眼鏡で殆ど隠されている。ただの視力矯正のために掛けるよりも、美しい顔を更に彩るものを選ぶ方がいいだろう。
「これ別に急ぎじゃないだろ?飯食いに行くついでに新しい眼鏡を買いに行こう」
今日はお前も終わりと言って、高遠が手元に広げていたファイルを取り上げて畳むと、あぁと小さな悲鳴が上がった。
「明日に回せよ。まだ月末には遠い、後回しでも十分にできるだろうよ」
「……駄目ですと言っても、聞いてくれませんよね」
「俺の事よくわかってるじゃないか」
高遠は溜息をつくと立ち上がった。
眼鏡屋に行き、色やデザインを変えて様々な眼鏡をかけさせる。出来る限りシンプルなものが良い、今かけているものは眼鏡の印象の方が強いのだからと似合うものを勧めても高遠は頑として頷かなかった。
「僕、やっぱりこの眼鏡が気に入ってるんです」
そう言われれば、どれ程良さそうだと思ってプレゼントしたとしても無意味だ。
「そうかよ、じゃあせめて服を買おうぜ。お前いっつもスーツばっかりだろう。別に私服で仕事しててもいいだろうによ」
「構いますよ、僕はマジシャンじゃなくってマネージャーなんですから」
「外の人間に会う時だけで十分じゃねぇの?」
「由良間さんがお気づきじゃないところでも、結構外の人に会っているんですよ」
「そういうもんかよ」
裏方の仕事はあまり想像がつかなかった。弟子時代は個人的に仕事を受けることもあったが、あくまでも近宮マジック団での仕事がメインであり、それを決めるのは近宮と山神だ。師の急死から立ち直るように幻想魔術団を立ち上げた為、他のマジシャンたちのように自らマネジメントする必要が今まで無かった。
営業や箱物……会場を借りる必要もあるのだろう。だがそれでもスーツである必要は、由良間には余り感じられなかったが。
「そういうもんかよ、まぁいいわ。服見に行こうぜ、俺にスーツ以外のお前を見せてくれよ」

  • 最終更新:2016-08-28 09:38:54

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