由良高リレー1


雨は孤独を連れてくる、幼いころの高遠はそう感じていた。雨の多いイギリスでは、晴れた空よりも雨雲の方が馴染みがあった。小雨が多く窓を叩く雨音もまるでタップを刻むように軽やかなものだった。しかし不思議と街の喧騒は遠のき、家と街との間にくっきりと境を刻んでいた。
当時の高遠には友人が居ず、雨の日になれば家にこもり人形遊びをしていた。その人形は父からの贈り物ではなく、燐家の老夫婦が孫娘に贈るために買ったが不要になったと渡されたものであったと覚えている。淡い髪の、ビスクドール。嵌められたガラス玉の瞳がキラキラと輝いていた。
ままごとやヒーローごっこをするでもなく、ただ人形を取り出して眺めていたように思う。幼心にその丁寧な職人技に感嘆していたのだろう。ためつすがめつ眺めては、満足の息をついていた。しかしその人形もとある雨の日に父に取り上げられ、それきりだ。
淡い髪を握りしめ、珍しく土砂降りの雨の中傘もささずに捨てに行く背中を見つめた。父が去った後にゴミ箱の中に入れられた姿を見に行ったが、雨と泥と生ごみに塗れた姿を見て拾うのを諦めた。部屋の中であれ程輝いて見えた姿は、そこには一切存在しなかった。
人形を捨てられてからだろうか、雨の音が一層つよく感じられるようになった。燐家の音さえも聞こえず、孤独の籠や檻の中にでも閉じ込められたような心地がしていた。静まり返った街は不気味で、家より外は皆死に絶えたかのようでもあった。
その籠の鍵を持つのは、鉄面皮のように表情を変えない父親だ。外を望み空を仰いでも、暗く重い雲やざあざあと降りしきる雨ばかりだった。
ひどく憂鬱な日々が続いていた、雨に歌うことを父は教えることは無く、父の定めた規範をなぞることだけを求められた。窮屈な生活は柔らかく幼い心をたやすく押し殺していく。少年には喜びが無かった、希望が無かった。雨上がりの虹よりも、雨雲ばかりを見つめていたからだ。
それが一変したのは……マジックに出会ってからだった……


遠くから雨音が響く中、突然光が差し込んだ。
暗闇に慣れた目に、白熱灯の光はあまりに眩しい。高遠は目を慣らすために瞬きをしながら、スウィッチのある出入り口へと顔を向けた。そこには雨に打たれたのか、髪や服から雨だれのように滴をこぼしている由良間が居た。
「お前、電気くらいつけろよ」
不愉快そうに濡れた髪をかき上げ、タオル無いかと口にする由良間に、高遠は慌てた振りをしながら事務所に常備しているタオルを差し出した。
「サンキュ、お前何してたの」
「マリオネットの整備を……塗装が少し剥げていたので、塗り直していたんです」
「なら余計に電気ついてないと見えないだろう」
「集中していたもので、暗くなっていると気づきませんでした」
はははと少し眉を下げながら笑えば、由良間は淡い瞳に呆れの色を滲ませた。間の抜けたマネージャーだとでも思っているのだろう。
「由良間さんこそ、そんなに濡れてしまってどうしたんですか」
「出先から帰ってくる途中に降られちまってよ、団長はどこにいるんだ?」
「えっ……?事務所には僕以外いませんよ?皆さんもうお帰りになられましたから」
高遠の言葉に由良間は顔を顰めうげぇと舌を出した。
「最悪、それなら直帰すりゃ良かったぜ」
粗雑な態度に、つい眉が寄る。しかし由良間には困ったような顔に見えたのだろう、鼻を鳴らし溜息をつくと、少しばつが悪そうに受け取ったタオルで髪を拭き始めた。
「仕事の連絡事項があるのなら、電話で伝えましょうか?」
「……いやいいさ、明日自分でいうからよ」
ある程度タオルで髪を拭いていた由良間は、女性陣も居ないことだしと服を脱ぎだした。シャツを脱ぐ前に、着替え取ってこいと命令を受け、仕方が無しに由良間が置きっぱなしにしている着替えを取りに行った。
渡した替えを着る様子を見ていれば、何見てるんだと眉を顰められた。いつになく機嫌が悪いように見える。しかしここまで前に降られれば、わけもなく不快にもなるだろう。しかしだからといって、八つ当たりをされて平気かと言えば別だ。
わざわざ相手をする必要もない、そう思って「すっすみませんと」謝り離れようとすれば、不意に由良間が頬に手を伸ばしてきた。避けるのも不自然だと、受け入れればそのまま優しく頬を撫ぜられる。
「ペンキ、ついてるぞ」
だっせぇのと男は笑った。
「さっきは気づかなかったけど、お前の顔やばいことになってるぜ」
先程タオルを取りに行ったときに、わざと顔に付けたものだ。由良間には整備をしていたと言ったが、実際はただマリオネットを眺めていただけに過ぎなかった。それを誤魔化すために顔を汚しておいたのだ。
そうして仕込んだ拙いタネに由良間は見事に引っ掛かり、不機嫌さをすっかり無くし子供のような笑みを浮かべた。白く美しい奇術師の指を惜しげもなく黒く汚しながら……
「えぇ!?恥ずかしいです……」
慌てて手で頬を拭おうとする前に、由良間がその手を取った。
「手が汚れるぜ」
雨で濡れたタオルで拭おうとしたが、流石に躊躇ったのだろう。もう一度指でペンキをとると、それをタオルで拭った。
「まだちょっとついてるな、顔洗ってこいよ。」
「はい、ありがとうございます」
子供にするように言ってくる男に、高遠は少し不思議な気持ちになる。自分の手の汚れは気にしないのか、そう感じていた。
「そうだ、お前この後用事あるのかよ」
「えっ……いえ特には……」
「じゃあ俺に付き合え、いいだろ?」
有無を言わさぬ言葉に、高遠はしぶしぶ頷いた

  • 最終更新:2016-08-27 18:49:41

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