由良高リレー29

気まずげに眉をしかめていた顔を覚えている。傲慢で気まぐれな男は、しかし時折我儘に振り回しているはずのマネージャーの顔色を窺うような表情をする。それはまるで母親に叱られた子供のような、邪気のない様子であった。その顔を見るたびに、高遠は彼の別の一面を見た驚きを感じていた。
団長に離れる様にと命じられた反発からか、高遠を抱きしめて共に居ろと迫った様子は普段の様子が打って変わって、とても孤独なように見えた。
抱きしめながら、縋っているかのような様子は……あまりにも力弱い。まるで愛を乞いているかのようだった。だが本来選択を迫られるべきは、高遠ではなく由良間だった。SDカードの中に眠る秘密は、唯一由良間の命を救う方法だっただろう。
Mr.がどうやって高遠の真実を知りえたのかはわからないが、死人に口なし……おそらくSDカード以上の真実はこの世には最早存在しない。あの邪魔な女主人も二度と姿を現すことも無く、告発者となる相手は存在しない。
命をかけた告発は、しかし由良間に届くことはないのだ。男の献身を貴公子は永遠に知ることはない。由良間の関心は、残されたSDカードでも、侮辱されたことへの怒りでもなく、高遠と行く未来にあった。されどその未来は……永遠に訪れることはない。
もしも……万が一にでも彼がこのSDカードの内容を知ったとすれば、どのような反応をするだろうか。彼はMr.の献身に報いるのだろうか。体を熱を交わした高遠を、この言葉一つで裏切り、人形師の館に連れて行って殺す……?そんなことが本当に出来ると思っているのだろうか
だがもしそれが可能であれば……高遠はそんな男の様子が見たいと感じていた。
白い衣装に隠された、悍ましい本性がやっと見れるのではないか?彼を沈める汚濁であるこの身、それ以上の穢れた魂を、由良間が見せるのではないだろうか。生み出すマジックの美しさに反して、その身に宿る魂はこの世の何よりも穢れているのではないか。そう願っていた。下劣な人間性、トリックノートを奪い、母を死に追いやり、マジックさえも汚した、その男が無邪気に復讐者を恋人にして、縋るように選択を迫ってくるなど、悪夢のようだったからだ。
このSDカードを見せれば……それは最早誘惑に近かった。冷静な思考は、やがて行う死のマジックショーの為、邪魔になりかねない不確定要素は全て排除するべきだった。冷静に冷徹に判断し、ありとあらゆる誘惑を跳ね除ける。ときにはこの身を差し出してでも信頼を得る必要もあった。いささかそれが過ぎてしまい、団長から叱責を受けるまでになってしまったが、かと言って関係を見直す必要はそこまで感じていない。精々あと一年……数か月だけの関係だ。だがその数か月を問題なく過ごす必要がある。偉大なるマジックショーに必要なのは、多くの時間と手間をかけた下準備なのだから、その為であれば高遠は何を犠牲にしたとしても良かったのだ。
邪魔になる人々を殺し、多くの罪を犯した。その事への罪悪感などとうに無くなっている。
献身的なマネージャーの姿をして、彼から離れないのだと告げながら、終わりの時を待っている。


由良間の望み通り、彼の家で快気祝いを行うことになった。どこかのホテルのレストランやホテルで……などは、人目を気にして行うことが出来ず、彼の為に培った料理スキルをいかんなく発揮する必要があった。
何事にも不得意なことがない高遠は、料理に関しても常人以上に得意にこなした、そうして披露した料理に由良間は満足そうな舌鼓を打った。
「お前ってどんくせぇのに、結構器用だよな」
「えぇ~どんくさいだなんて……」
「実際どんくせぇだろ。道具とか落としたりよ、前は、あれか夕海さんとの仕事の連絡をミスっては大目玉食らってたよな」
はははと笑う由良間に、高遠はそれら全てはわざとだと言ってやりたいような心地になっていた。
「あれはその、違うんですよ!」
「はは言ってろ」
機嫌のよさそうな由良間に、高遠は準備をしていたSDカードをそっと差し出した。メインディッシュとして準備をしていたもの……これを渡すかどうか、ずっと悩み、おかしな夢さえも見てしまった。そもそも悩むこと自体おかしなことで、更にこうして差し出すなどするべきではないことだ。冷静な自分がそう告げていた。
「あの……これずっとお渡ししようと思っていたのですが、タイミングがつかめなくって……」
「何これ?」
すっかり忘れていたのだろう、SDカードを見せると彼は不思議そうに首をかしげていた。
Mr.が彼に用意した謎、そこからの冒険で得た宝への感心は彼には無かった。南島の襲撃や、自分が得た怪我の方が彼にとってインパクトが強かったせいもある。やはり忘れていたか、そう思いながら、高遠はさも困ったように眉根を下げた。
「あの陶器人形の中にあった物です……Mr.が由良間さんに遺した物だと思うのですが」
「あぁ……あの謎々の……ドリアン・グレイだったか」
バジル人形が持っていた、唯一の生命線、それの正体を知っても由良間の関心は今一つかられなかったようで、軽く眉を上げると人差し指と親指でつまみあげた。
「こんなもの、捨ててりゃあいいのに」
中を見たのか?そう尋ねてくる彼に、高遠は内心を隠しながら首を振った。
「これを見る権利は、由良間さんにしかありませんから」
「そりゃ結構なことだ。じゃあこうすれば、二度と誰の目にも触れることはないな」
言うが早いか、由良間は指に力をこめると、薄いSDカードをパキリと折ってしまった。幻想魔術団をひいては彼の命を救う唯一の手段……そして高遠遙一の真実と、彼を暗殺できる場所への手がかりさえも、一顧だにせず、壊しては子供のように無邪気に笑って見せた。
馬鹿な男だ。だがそうするだろうと思っていた。由良間のMr.への嫌悪感と、興味のない事へのいっそ恐ろしいまでの無関心から、この結果はわかりきっていたことだった。だからこそ高遠の何の心配も無く彼に差し出せたのだ。
「あぁ、何をするんですか由良間さん!もしかしたら凄い秘密が隠されていたかもしれないのに」
「秘密だぁー?例えば何よ」
「えぇっと……莫大な遺産とかかも知れませんよ、あの人……南島さんが探していたのもそれだったり」
「あんな財産も何もかも無くなってた落ち目のじじいに、遺すだけのものなんて欠片もあるもんか。つまんねぇ呼び出しと、謎解きまでさせて……あんな人形を準備してまで、説教くせぇことでも書いてあるに違いねぇ。ドリアン・グレイの肖像だ?はっ身を改めろとでも言いたいのかね……クソッタレが」
吐き捨てると、由良間は懐から煙草を取り出した。苦い気持ちを煙として吐き出そうとするかのように、不味そうに煙草を吸っている。
「でも……」
「しつこいぞ高遠。あんな奴の事なんて忘れろ、もう何もかも気にする必要なんて欠片も無い……もう何一つな……」
言い切ると由良間は、高遠を引き寄せると素早くその唇を奪った。苦い煙草の味と、彼の唇の温もりに、久しぶりだと感じていた。肩に置かれた手が滑らかに背へと回され、腰へと降りていく。小さく形の良い尻を掴む男の瞳は、隠しようも無く情欲に染まっていた。
「そんなことよりも、俺達にはやることがあるんじゃねぇの?」
煙草を皿に押し付けると、由良間は高遠を抱き上げて食卓を後にした。


一晩中由良間の相手をしていた高遠は、ぐったりとベッドに身を投げて深い眠りに落ちていた。細く滑らかな肌は、輝き手に吸い付くような魅力に満ちていた。何度抱いたとしても、満足できず、嫌がる高遠を無理に高ぶらせては何度も泣かせてしまった。
明日……いや今日の仕事は、辛そうだなと元凶でありながら由良間はまるで他人事のように感じていた。ベッドから立ち上がると、んんっと小さく高遠が声を漏らしたが、寝返りを打つ彼は未だ眠りから覚める様子は無かった。
眠っている高遠の姿は、まるで十代の少年のようにも見えた。まだ若い、二十代になったばかりの青年だ、瞳をとじ安らかな表情をするとぐっと幼く見える。もしかすれば由良間の中にある彼への愛情がそう見せているのかもしれない。
十代の高遠の様子を想像して、由良間はそっと笑みを漏らした。
学生服を着た高遠と、見習いの由良間が出会う。そんな世界があったのかもしれない。マジック好きな気弱な少年を、口八丁手八丁で誘惑し、イケナイ事を教え込むのは、実にやりがいのある授業だろう。
脱ぎ散らかした服を拾い、身に着けていく最中、由良間は服のポケットに隠していたものを取り出した。薄い小さなSDカードだ。高遠の目の前で壊して見せたものは、同じサイズの偽物だった。受け取った時にすり替え、潰したように見せかけただけだ。
手に入れたSDカードをじっと見てから、由良間は居間にノートパソコンを持って行くと、それを差し込んだ。その中に何があるのか、どのような真実が込められているのかを知らずに。
中を見終わると、由良間はあぁと声も出さずに顔をおおった。
救いの雨は、大いなる疑念の種だった。恐ろしいなる真実か、悍ましい嘘か、どちらにせよ告げるのは破滅だ。あの男が、由良間たち幻想魔術団の真実を知っているのは、どうでもいい。あの「事故」に関して人がどのような考えを持っていたとしても、口にせず死んでしまった男の考えなど取るに足らない。しかし男が残した呪いのような「考え」は由良間の精神に大きなショックを与えた。
殺せだと?あの高遠を?仇の前で少年のように安らかな眠りにつく男を?冗談じゃない。由良間は震える手でSDカードを取り出すと、昨夜高遠の前でして見せたように、パキリと折った。小さな音ではあったが、その音は不思議と部屋の中に響いたように由良間には聞こえた。
小さなその音は……まさしく、世界が壊れる音だったのだ……

  • 最終更新:2017-04-03 12:54:08

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